ハプスブルク家の「最後の皇帝」になったのは誰?

ハプスブルク家最後の皇帝

ハプスブルク家最後の皇帝はカール1世であり、第一次世界大戦の敗北後に退位を余儀なくされた。彼の退位はオーストリア=ハンガリー帝国の崩壊と王朝支配の終焉を象徴した出来事であった。本ページでは、このあたりの歴史的背景と後世への影響について詳しく掘り下げていく。

ハプスブルク家における「最後の皇帝」とは?

ハプスブルク家最後の皇帝は誰?という疑問に対して答えは2通りあります。「ハプスブルク家最後の神聖ローマ皇帝は誰?」という意味ならフランツ2世、「ハプスブルク家最後のオーストリア皇帝は誰?」という意味ならカール1世という答えになります。



最後の神聖ローマ皇帝

神聖ローマ帝国が解体される直前まで皇帝位についていたのはフランツ2世(1768~1835年)になります。


即位

トスカーナ大公レオポルド1世とスペイン王女マリアとの間の子としてフィレンツェに生まれ、1792年に神聖ローマ皇帝として即位しました。


即位時はフランス革命の真っただ中であり、父レオポルト2世が前年行ったピルニッツ宣言がきっかけでフランスから宣戦布告を受け、フランス革命戦争が勃発しました。


退位

その後のナポレオン戦争にも巻き込まれ、アウステルリッツの戦いでの惨敗をもって皇帝位の放棄を決意し、神聖ローマ帝国は名実ともに消滅したのです。


最後のオーストリア皇帝

ハプスブルク家最後の皇帝となったカール1世。王権神授説を主張して、権力の座を追われた後も、復権を諦めていなかった。


フランツ2世は神聖ローマ皇帝ではなくなりましたが、オーストリア皇帝フランツ1世としては地位を維持し、ハプスブルク家の中欧支配は続きました。しかし第一次世界大戦における敗戦により、オーストリア帝国は崩壊し、当時の皇帝カール1世が、ハプスブルク家最後のオーストリア皇帝となりました。