戦間期のドイツ情勢を理解しよう

戦間期とは第一次世界大戦の終結から、第二次世界大戦の勃発までの、およそ20年間の時代のことで、とくにヨーロッパ諸国では、後世の歴史に大きく関係する政治的・経済的な動きがみられました。今回は戦間期のドイツ情勢について解説しています。

 

 

復興の兆しからの大不況

第一次世界大戦後のドイツは、ヴァイマル憲法に立脚するヴァイマル共和国としてスタートしましたが、敗戦国として莫大な賠償金や植民地の放棄、軍備制限、領土縮小などを課せられ、戦後も社会的混乱は続いていました。

 

ヴェルサイユ条約の影響

ヴェルサイユ条約により、ドイツは多額の賠償金を負担することになり、経済的な圧迫を受けました。特にフランスとベルギーが賠償金の支払いが滞るたびにルール地方を占領するなど、国民の不満と絶望感が広がりました。

 

ハイパーインフレーションと復興

1920年代初頭、ドイツはハイパーインフレーションに見舞われ、貨幣価値が急速に下落し、経済は大混乱に陥りました。しかし、アメリカのドーズ計画(1924年)とヤング計画(1929年)により、賠償金の支払い条件が緩和され、アメリカからの融資で一時的に経済が安定し始めました。

 

大恐慌の影響

1929年の世界恐慌は、ドイツ経済に再び大打撃を与えました。失業率は急上昇し、経済的困窮に陥った国民の間で社会不安が広がりました。この状況を背景に、極右や極左の政治勢力が台頭し、特にナチス党が急速に支持を拡大しました。

 

戦間期ドイツではファシズム勢力が伸長し、ヒトラー率いるナチスの政権獲得に繋がった。

 

ナチスの台頭と独裁体制の確立

ヒトラーの指導力とプロパガンダ

アドルフ・ヒトラーは、巧みな演説とプロパガンダを駆使して、国民の不満と恐怖を煽り、ナチス党への支持を集めました。ナチス党は1932年の選挙で第一党となり、1933年1月にヒトラーが首相に任命されました。

 

全権委任法と独裁体制の確立

1933年3月、ヒトラーは全権委任法を成立させ、議会の権限を停止し、独裁体制を確立しました。反対派や政治的敵対者は次々と排除され、ナチス党はドイツ国内で絶対的な権力を握ることになりました。

 

軍事拡大と戦争への道

再軍備宣言

1935年、ヒトラーはヴェルサイユ条約に違反して再軍備を宣言し、軍事力の増強を進めました。これによりヨーロッパ全土に軍事的緊張が広がり、再び戦争の脅威が高まりました。

 

ラインラント進駐と国際社会の反応

1936年、ヒトラーはラインラント非武装地帯への進駐を命じました。この挑発行為に対し、イギリスやフランスは有効な対策を取らず、ナチス・ドイツの野心を増長させる結果となりました。

 

第二次世界大戦の勃発

1939年9月1日、ナチス・ドイツはポーランドに侵攻し、イギリスとフランスがドイツに対して宣戦布告しました。これにより第二次世界大戦が始まり、戦間期は終焉を迎えました。

 

戦間期のドイツは、第一次世界大戦の敗北から立ち直りを図る中で、経済的困難と政治的不安定に直面しました。その結果、ナチス党が台頭し、独裁体制が確立され、再軍備と侵略の道を歩むこととなりました。この時期のドイツの経験は、戦争と平和の重要性、そして政治的安定の必要性を現代においても強く訴えかけています。