ブダペストの街並み
ハンガリーの首都は、ドナウ川中流に位置するブダペスト(Budapest)です。約500平方キロメートルの市域面積に、約170万人の人々が暮らす同国最大規模の都市となります。100を超える源泉と50近くの浴場がある「泉の街」として知られ、古くから独自の温泉文化が形成されています。街の中心にドナウ川が流れ、その美しい景観から「ドナウの真珠」や「ドナウのバラ」の別名を持っています。
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西側(丘側)の「ブダ(小屋の意)」と、東側(平野側)の「ペスト(かまどの意)」という別々の街が、1873年に合併したことで「ブダペスト」という名の都市が誕生しました。
ブダペストはドナウ川をはさんだ西側の城下町「ブダ地区」と東側の商業地「ペスト地区」で構成されています。
ブダ側は丘になっており、王宮がそびえ立っています。1346年にラヨシュ王がブダを首都にし、ルネサンス期には中欧の文化的、経済的中心となりました。王族や貴族、カトリック信者が多く住んでいた場所で、長らく公用語はハンガリー語ではなくドイツ語でした。
ペスト側は平野になっており、国会議事堂が置かれています。国の商業の中心で、商人をはじめ庶民が多く住んでいました。蓄財を肯定するカルヴァン派の教えが商人の間で広まったため、プロテスタントの割合が比較的高いのが特徴です。
セーチェーニ鎖橋は、ブダとペストを繋ぐ橋の中で最も古く、1987年にユネスコの世界遺産に登録され、最も人でにぎわう観光名所の一つとなっています。この橋が架けられたのは1849年で、「最も偉大なハンガリー人」と呼ばれている大貴族、セーチェーニ・イシュトヴァーンが建設を指示しました。このくさり橋によって人の行き来が活発になり、ブダペストは東欧の大都市として発展したのです。
紀元19年ローマ帝国辺境の駐屯地として建設された「アキンクム」を起源です。ローマ帝国崩壊後は、オスマン帝国の占領期を経て、ハプスブルク家の支配下に。1849年に「ブダ」と「ペスト」が橋により結ばれ、1872年に統合してブダペストが誕生しました。
第一次世界大戦後の1920年成立のハンガリー王国の首都となり、第2次世界大戦では「ブタペスト包囲戦」で大きな損害を受けましたが、戦後はアメリカに並ぶ超大国ソ連の強い影響のもと、復興を遂げていきました。
1989年ブダペストは、民主化により成立した「ハンガリー共和国」の首都として再スタートを切ります。1996年にヨーロッパ初の地下鉄が開業し、石油・機会・繊維・食品加工など工業を背景に発展。東欧でも人の往来がさかんな活気ある街になりました。
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