ナントの歴史

ナント(Nantes)はフランス西部・ロアール川下流に位置するロワールアトランティック県の県都です。大西洋の玄関口として重視されるフランス第6の都市で、機械類・小麦粉の輸出、チョコレート等菓子製造、観光業などがさかんに行われています。歴史的にはアンリ4世がナントの勅令を発布した地として有名な他、フランス革命期にジロンド派の拠点であったことでも知られます。

 

 

歴史

ナントは、前1世紀にケルト人のナムネテス族(ナントの語源)が築いた集落に起源をもち、のちにローマ植民市ポルトゥス・ナムネトゥス(Portus Namnetus)となると、ローマの商業・行政の重要拠点として栄えるようになりました。西ローマ帝国崩壊後はブリトン人・ノルマン人の襲撃を受け衰退するも、10世紀にブルターニュ公国(936年〜1547年)の支配下に入るとその首都として再び繁栄。16世紀のフランス王国併合後は、イギリス・スペイン・バルト海沿岸諸国との交易でいっそう栄えるようになりました。

 

ナントの勅令

16世紀末、カトリックとプロテスタントの対立が激化し、収拾のつかない紛争状態にある中(ユグノー戦争)、アンリ4世がこの地にて、両派の調和のためプロテスタントにカトリックとほぼ同等の権利を与えるナントの勅令(1598年)を発し、宗教対立に終止符を打ちました。

 

三角貿易・工業発展

18世紀になると、ナントはアフリカ(ギニア)、アメリカとの三角貿易の拠点となり、黒人奴隷や砂糖売買を主とした商業で繁栄。19世紀以降は鉄道や工場など様々な施設が建設されるなど工業発展が急速に進んでいきました。第二次世界大戦でドイツ軍に占領されると、主たる工業施設は連合国軍の爆撃で多大な損害を被りますが、戦後は着実に復興を遂げ、現在に至っています。

 

 
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