フランス革命とアメリカ独立戦争は、ともに抑圧的な権力に抵抗し、自由と平等な社会の実現を目指した革命といえます。
17〜18世紀に生まれた自然法思想や啓蒙思想の影響を受け、近代民主主義の礎となったという点でも共通しており、ここでは、そんな似通った部分の多い二つの革命にどのような関係があったのかを簡単に解説していきます。
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アメリカ独立戦争が起こったのは、フランス革命より少し前の1775年です。イギリス本国軍とアメリカ植民地軍(独立軍)が戦い、結果的に植民地側が勝利し、独立を勝ち得た戦争ですが、フランスはこの戦争において植民地側を支援していました。
北米(アメリカやカナダ)は長らくフランスとイギリスによる植民地闘争の場でしたが、フランスはフレンチ=インディアン戦争(1754〜1763年)でイギリスに敗れた結果、北米に持つ植民地の大半を喪失しています。
フレンチ・インディアン戦争におけるワシントン。後にアメリカ独立戦争を指導し、独立軍を勝利に導いた。
つまりフランスが独立軍を支援したのは、このことに対する恨みと、旧来のライバルであるイギリスの勢力を削ぐためで、独立軍側が勝利したことで、結果的にこの目的は果たされました。
しかルイ14世(1638-1715)の治世から明け暮れた対外戦争の戦費で、もともと財政的に厳しかったところに、独立戦争への莫大な軍事支出はフランスを財政危機に陥れました。
財政危機打開の為に課された重い税負担で、民衆は不満をつのらせていましたが、それまで免除されていた特権階級への課税を試みたネッケルが罷免されたことをきっかけに、我慢の限界に達し、フランス革命の火蓋が切られたのです。
つまりアメリカ独立戦争はフランス革命の間接的な原因になったということになります。
アメリカ独立戦争で、アメリカの独立に賛同しフランスから義勇兵として戦いに参戦する者もいました。代表的な人物が、フランスの貴族であったラ=ファイエットです。
そしてラ=ファイエットは、1776年に発表されたアメリカの独立宣言を参考に、1789年に国民議会で採択されたフランス革命の人権宣言を起草しているのです。
自由と平等、人権を明記したアメリカ独立宣言ですが、フランス人権宣言も人間は生まれながらに平等という人権、国民主権・三権分立が柱となっています。
アメリカ独立宣言は、政府は人民の生存や幸福などの権利を実現するための代表的な機関だという、イギリスの思想家ジョン・ロック(1632〜1704年)の自然法思想を前提に組み込んでいます。
さらにフランス人権宣言は、人民主権の社会契約説を唱えたルソー(1712〜1778年)の啓蒙思想と、アメリカの独立宣言の性質を色濃く受け継いでいると言えます。
フランス革命とアメリカ独立戦争は、市民が封建的な社会の打破と、不条理な身分制度に不満を持ち平等な社会を目指した市民革命という点で似た性質を持っています。まず2つの革命が起こった直接的な出来事には共通点がありました。大きなポイントは、『課税』です。
アメリカ独立戦争は、イギリス本国側が度重なる戦争の出費などを補うために砂糖法・印紙法・茶法など植民地側の課税強化を図ろうとしました。しかし、植民地側は『代表なくして課税なし』という有名な言葉のように、議会で代表を持ち政治のあり方を決める権利を求めて課税に反対をします。
フランス革命では、特権身分への課税を図ろうとし三部会を招集。三部会では、市民を含めた議員が集まり協議を行いますが、特権身分と第三身分が対立をし、先に述べたネッケルが結果的に貴族の反対で課税に失敗し罷免されたことで市民による大規模な襲撃が起こることになります。
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