フランス革命とアメリカ独立戦争の関係とは?

フランス革命アメリカ独立戦争は、18世紀における世界史の中でも大きな市民革命です。

 

不平等な社会と権力に対抗し、市民は自由と平等な社会の実現を目指しました。

 

フランス革命とアメリカ独立戦争の2つの革命は、結果的に近代の民主主義の礎を築いてきたと言えます。

 

アメリカ独立戦争はアメリカ本土がイギリスによる植民地支配から独立し、住民自治の政治を行うようになり、現在のアメリカ合衆国の前身となりました。

 

フランス革命では絶対王政が廃止され、共和制を採用、長く続いた封建的な社会を根底から覆すきっかけとなりました。

 

2つの革命は、17世紀〜18世紀に生まれた、自由や平等、人民の権利を主張した自然法思想や啓蒙思想の影響を受けていました。

 

ここでは、支配側の圧政に立ち向かったフランス革命とアメリカ独立戦争は、どのような関係があったのかを解説していきます。

 

 

アメリカ独立戦争はフランス革命の一因

アメリカ独立戦争が起こったのは、フランス革命より少し前の1775年です。

 

結果的に、イギリスの本国軍とアメリカの植民地側の独立軍が戦い、植民地側が勝利を得ました。

 

現在の北アメリカ大陸のアメリカ合衆国は当時イギリスの植民地でした。

 

当時欧米の強国は大航海時代よりこぞって海外の植民地支配を強化していきました。

 

イギリスとフランスは当時植民地支配で競い、北米で1754年から1763年にフレンチ=インディアン戦争が行われました。

 

そこで敗北したフランスは、カナダなどを含んだ北米の植民地の大半を失うことになります。

 

フランスのアメリカ独立戦争参戦

フランスはアメリカ独立戦争で、上述の恨みのある敵国イギリスを疲弊させることができると目論み、アメリカの独立軍側に協力し、参戦をします。

 

しかしアメリカ独立戦争への参戦は、フランスの財政逼迫の一因ともなっていくのです。

 

フランスはルイ14世(1638-1715)の時代が最盛期、しかし続く対外戦争や海外の植民地支配拡大でフランス国家の財政は逼迫していきます。

 

ルイ15世の時代にはオーストリア継承戦争、ヨーロッパの七年戦争、海外植民地をめぐる戦争のフレンチ=インディアン戦争による出費が財政赤字を拡大させていきます。

 

戦争による財政赤字

フランス革命が起きた、続くルイ16世の時代にも財政赤字の真っ只中。重い税負担で生活が苦しい状況が続き、民衆は不満をつのらせていきます。

 

国家の財政再建のため、それまで免除されていた特権階級への課税を試みたネッケルの罷免がきっかけで、民衆のバスティーユ牢獄襲撃が起こりフランス革命への火蓋が切られました。

 

当時のフランスで、伝統的なアンシャンレジームの不平等な身分制度に対し、生活が苦しい第三身分が不満を大きくつのらせたことがフランス革命を引き起こすことになります。

 

武器や遠征など、戦争には巨額な費用を必要とします。

 

こういった費用のため民衆の税負担を重くさせた一因は、フランスアメリカ独立戦争への参戦だったのです。

 

アメリカ独立戦争は、フランス革命の思想にも影響

アメリカ独立戦争で、アメリカの独立に賛同しフランスから義勇兵として戦いに参戦する者もいました。

 

代表的な人物が、フランスの貴族であったラ=ファイエットです。

 

ラ=ファイエットは、1776年に発表されたアメリカの独立宣言を参考に、1789年に国民議会で採択されたフランス革命の人権宣言を起草します。

 

アメリカ独立宣言の根本となる思想は、フランスの独立宣言にも採用されているのです。

 

アメリカ独立宣言とフランス人権宣言

自由と平等、人権を明記した独立宣言ですが、フランス人権宣言も人間は生まれながらに平等という人権、国民主権・三権分立が柱となっています。

 

アメリカ独立宣言は、政府は人民の生存や幸福などの権利を実現するための代表的な機関だという、イギリスの思想家ジョン・ロック(1632〜1704年)の自然法思想を前提に組み込んでいます。

 

さらにフランス人権宣言は、人民主権の社会契約説を唱えたルソー(1712〜1778年)の啓蒙思想と、アメリカの独立宣言の性質を色濃く受け継いでいると言えます。

 

フランス革命とアメリカ独立戦争の共通点

フランス革命とアメリカ独立戦争は、市民が封建的な社会の打破と、不条理な身分制度に不満を持ち平等な社会を目指した市民革命という点で似た性質を持っています。

 

まず2つの革命が起こった直接的な出来事には共通点がありました。

 

大きなポイントは、『課税』です。

 

アメリカ独立戦争は、イギリス本国側が度重なる戦争の出費などを補うために砂糖法・印紙法・茶法など植民地側の課税強化を図ろうとしました。

 

しかし、植民地側は『代表なくして課税なし』という有名な言葉のように、議会で代表を持ち政治のあり方を決める権利を求めて課税に反対をします。

 

フランス革命では、特権身分への課税を図ろうとし三部会を招集。

 

三部会では、市民を含めた議員が集まり協議を行いますが、特権身分と第三身分が対立をし、先に述べたネッケルが結果的に貴族の反対で課税に失敗し罷免されたことで市民による大規模な襲撃が起こることになります。

 

身分差別との闘争

17世紀にヨーロッパは経済成長が止まりましたが、18世紀には領土の支配が重視され度重なり大きな戦争がおきていきました。

 

フランス革命とアメリカ独立戦争の2つの革命が起きた時代は、市民層への課税で重い税負担を強いて、そのツケを埋め合わせをしようとしました。

 

しかしこの不平等な課税体制により身分の差がはっきりとして、人民の不満が爆発することとなったのです。

 
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