戦間期のフランス

戦間期とは、第一次世界大戦終戦(1919年)から第二次世界大戦開始(1939年まで)までの期間のことです。第一次大戦でとりわけ大きな被害を被ったフランスにとっては、特に重要な意味を持つ期間となりました。

 

 

第一次大戦終結直後

ヴェルサイユ条約

1919年6月、第一次世界大戦後の国際秩序を回復させるため「パリ講和会議」が開催され、ヴェルサイユ宮殿では連合国と敗戦国であるドイツの間で「ヴェルサイユ条約」が結ばれました。フランスは同条約でドイツから植民地アルザス・ロレーヌを奪還するにとどまらず、対独復讐感情からドイツへ多額の賠償金支払い義務や領土大幅割譲を課す決定に大きく寄与したのです。

 

ルール占領


ルール工業地帯に進軍するフランス軍

 

1923年、フランスはドイツの賠償金支払いを滞っているとして、ドイツ経済の要「ルール工業地帯」に軍隊を派遣し占拠してしまいます(ルール占領)。このまま支払いがなされない場合は、この工業地帯を直接的に管理すると表明するなど、ドイツの主権を無視するような強気の姿勢を見せたのです。しかし戦間期フランスによる、このような苛烈な対独制裁は、ドイツ国民の不満や怒りを喚起し、鬱屈した感情を解消してくれる攻撃的な政権・・・つまりナチスの台頭を招いてしまうことに繋がるのです。

 

第二次大戦勃発直前

1934年2月6日の危機

第二次世界大戦の5年前、1934年にフランスでは「1934年2月6日の危機」と呼ばれる歴史的なクーデター未遂事件が起こっています。戦後の経済不況で政治的混乱が続く中、そういった不満を背景に力を得た右派ファシズム勢力が、議会による政治を止めさせようと暴動を起こしたのです。この暴動は死者16名と数千人の負傷者が発生するフランス政治史に残る事件になりました。

 

フランス人民戦線結成

1934年2月6日の危機をきっかけに政府は右派を含んだ新内閣を発足しますが、これを受け、それまで分裂していた社会党と共産党が共闘するようになります。そして1935年には「社会党」「共産党」「急進社会党」で成る反ファシズム組織「フランス人民戦線」が結成され、翌36年6月から38年2月にかけて政権を担当しました。