神聖ローマ帝国は、皇帝権と教皇権の2本の柱で支えられたいわゆる「神聖政体」でした。
さらに、王・公爵・伯爵・司教・修道院長などが支配する数十の領邦が寄り集まった国家であり、中央集権的な機構は備えていませんでした。
皇帝権は地方の領主達に制限されていたので、皇帝の一声で全ての領邦が同じ方向を向くなんてことはなかったのです。
つまり君主制は君主制でも、君主が絶対的な権力を持つ「絶対君主制(独裁)」ではなく、「制限君主制」。
皇帝権が弱く、しょせんは「ドイツ諸侯の寄合世帯」に過ぎなかったので、フランス革命後、ナポレオンの圧力でドイツ諸侯によるライン同盟が結成されたことで、神聖ローマ帝国は崩壊を余儀なくされたのでした。
神聖ローマ帝国の合議体「帝国議会」。領主や高位聖職者で組織される帝国議会における皇帝の権限は著しく弱かったことで知られる。
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