
エーゲ海の青と白がまぶしいギリシャ共和国ですが、その民族衣装もまた独自の美しさと歴史を秘めています。地方や時代によって多様なバリエーションがありますが、代表的なものとして男性のフゾニ(Foustanella)と女性のアマリア衣装が挙げられます。これらは19世紀の独立戦争期に象徴的な意味を持ち、今でも式典や祝祭で着用されています。今回は女性用・男性用、それぞれの特徴と、その歴史を紹介します。
|
|
|
|
アマリア衣装
女王アマリアが宮廷用に整えた都市女性の民族衣装。短いビロードの上着と長いスカート、房飾りの帽子を合わせるのが典型
出典: Nikiforos Lytras (author) / Wikimedia Commons Public domainより
女性の民族衣装で有名なのがアマリア衣装です。これは19世紀にギリシャ王妃アマリアが考案し、国民服として広まりました。当時のギリシャでは西洋風の服装が入ってきていましたが、アマリアはあえて伝統的な要素を取り入れた衣装をデザインすることで「ギリシャらしさ」を前面に押し出したんです。
特徴は長いスカートにタイトな胴着、そして刺繍や金糸で縁取られたジャケット。歩くと裾がふわりと広がり、華やかで女性らしいシルエットになります。色は赤や青など鮮やかで、インナーには白いブラウスを合わせるのが基本。頭にはフェズ帽やスカーフを被ることが多く、全体的に上流階級の優雅さを漂わせる雰囲気があるんです。アマリア衣装は単なる流行服ではなく、国家を象徴する「誇りの服」だったといえるでしょう。
ウールやシルクが多く使われ、寒暖差のある気候に合わせて実用性も重視されていました。地方によってはリネンも取り入れられ、夏場には軽やかで涼しい着心地を実現。色は地域や用途によって違いがあり、赤や青、緑など鮮やかな色合いが好まれました。
特に金糸の刺繍は豪華さを一段と引き立て、祝祭の場では光を反射してきらびやかに見えたそうです。日常用と式典用で色の濃さや装飾の量を変えるなど、TPOに合わせた工夫もされていました。
胸元には金属製のブローチやペンダントを重ねてつけることが多く、首元や耳元にもアクセサリーが輝きました。結婚式など特別な行事では、ベルト部分にコイン飾りをあしらうこともあり、これは「豊かさ」や「繁栄」を祈る意味を持っていたんです。
これらの装飾品は単なる飾りではなく、家族の歴史を背負った代々受け継がれる家宝になることも珍しくありませんでした。つまり身につけることで、祖先からの絆や誇りを感じられる存在だったんですね。
ギリシャの男性民族衣装フゾニ
アテネの無名戦士の墓で儀仗を行うエヴゾネス。白いフスタネラ、赤い帽子と長い房、ボンボン付きの靴などで構成される伝統装束。
出典:Photo by Jebulon / Wikimedia Commons CC0 1.0より
男性用民族衣装の代表格がフゾニです。これは白いプリーツスカート状の衣装で、もともとは戦士や山岳民が動きやすさを重視して着ていた実用的な服装でした。ひらひらと舞うプリーツは見た目の美しさだけでなく、布を重ねることで防寒や耐久性を高める役割も果たしていたんです。
400本近いプリーツは「オスマン帝国支配下の400年間を象徴している」と語り継がれ、衣装そのものが歴史の証となっています。上半身には刺繍入りのベストやジャケットを羽織り、脚には白いタイツ、足元には先端に大きなポンポンのついた革靴「ツァルヒア(Tsarouchia)」を履きます。戦士らしい勇ましさと同時に、独立への誇りを背負った装いなんですね。フゾニは「民族の魂」を体現する服といえる存在です。
白いリネンシャツに短い袖なしジャケットを重ねるのが基本スタイル。軽やかで通気性の良いリネンは暑い地中海の気候に合っており、長時間の行軍や作業でも快適でした。
ジャケットにはびっしりと細かな刺繍や金糸の縁取りが施され、これは単なる飾りではなく軍服としての格式や勇気の象徴。地域や部隊ごとに刺繍の模様が異なることもあり、一目で所属や誇りを示すサインにもなっていたのです。
ツァルヒアは厚い革底で作られ、山道や石畳でもしっかりと歩ける頑丈な靴でした。つま先の大きなポンポンは見た目が可愛らしくもありますが、実は武器を隠すための工夫ともいわれています。
腰には装飾的なベルトを締め、そこに小刀や飾り紐を下げることもあり、実用と装飾がうまく融合していました。こうしたアクセサリーは勇敢さや家柄を示すアイテムでもあり、単なる小物以上の意味を持っていたんですね。
ギリシャの民族衣装は、古代のチュニカやトガのような衣服文化の影響を色濃く残しながらも、中世以降はオスマン帝国支配下で地域ごとの文化や外来要素を取り込みつつ独自のスタイルを築いていきました。
特に19世紀の独立戦争の頃には、男性のフゾニや女性のアマリア衣装が「ギリシャらしさ」を示すアイコンとなり、ヨーロッパ各地にギリシャ人のアイデンティティを強く印象づけました。民族衣装そのものが独立運動と民族意識の象徴になったと言っても過言ではありません。
島嶼部では夏の暑さに対応するためにコットンやリネンの軽やかな布地が多用され、本土の山岳地帯では寒さに備えて厚手のウールが一般的でした。
さらに刺繍の文様や配色は地域性を色濃く映し出しており、エーゲ海の島々では鮮やかな赤や青を基調とした華やかな模様が多く、エピルス地方などでは落ち着いた幾何学模様が好まれる傾向にありました。つまり、衣装を見れば出身地域がわかるほど、細やかな差異が大切にされていたんですね。
現在では独立記念日や宗教行事など特別な日に着用されるほか、観光地では伝統舞踊やイベントで披露される機会も多いです。学校行事では子どもたちが民族衣装を身につけて式典に参加する姿が見られ、未来の世代に伝統を受け継ぐ役割も果たしています。
特にフゾニはギリシャ陸軍の儀仗兵「エフゾネス」が公式制服として着用しており、国家的シンボルとしての存在感も健在です。手仕事で丁寧に仕立てられるため高価ではありますが、その文化的・歴史的価値は何ものにも代えがたい宝物とされています。
このように、ギリシャの民族衣装は、美しさと歴史的背景を併せ持ち、今も国民の誇りとして大切に受け継がれているのです。
|
|
|
|