ヴェネツィアの街並み
ヴェネツィア(伊:Venezia)は、イタリア北東部ヴェネト州、アドリア海沿いに位置する都市です。干潟の小集落として始まり、中世以来、東方貿易を背景に急速に発展。最盛期には地中海の覇権を握る海洋国家として、ヨーロッパ世界で極めて高い国際的地位を保持していました。大航海時代以降(15世紀末〜)、地中海貿易の優位性が薄れてからは、ガラスやレースといった伝統工芸にも力を入れるようになり、これは今でもヴェネツィアを支える重要な地場産業になっています。
古代イタリアのヴェネツィア周辺には、「ヴェネツィア」の語源にもなった「ウェネティ(Veneti)」と呼ばれる先住民族が居住していました。前2世紀からはローマの支配下に入り、帝政末期には、ゲルマン民族の圧迫から逃れてきたローマ系住民が湿地帯に集落を築き、これがヴェネツィアの原型となりました。
避難民は7世紀末、自分たちの「法」と「政府」を作ることでヴェネツィア共和国を創始しています。そして9世紀以降は、フランク王国、東ローマ帝国、イスラム諸国などと商業条約を結び、交易を拡大。オリエント世界とヨーロッパを繋ぐ、東西貿易の重要拠点として栄えるようになるのです。
11世紀には東ローマ帝国の要請で、アドリア海の海上防衛を担当するようになり、その見返りに帝国内における貿易特権を獲得。さらに12世紀頃から軍船の修理、14世紀以降は大型商戦や武器製造なども行なうようになり、16世紀初頭にはアドリア海沿岸の都市や島々を支配下に治め、「アドリア海の女王」の異名をとる、東地中海最強の海軍国家に成長したのです。
ヴェネツィア最盛期には多くの芸術家が都市に集まり、絵画ではヴェネツィア派が生まれ、オペラなどバロック音楽の中心地となりました。
東方からのオスマン帝国の台頭、周辺諸国との戦争による海外領土の喪失、大西洋航路開拓にともなう東西貿易の主要港としての重要性低下・・・様々な要因が重なり、16世紀後半からは衰退の道を辿っていきます。そして18世紀末には、フランス革命戦争の中でナポレオンに占領され、共和国は崩壊。ナポレオン失脚後はオーストリアによる支配を経て、19世紀後半、イタリア統一完成とともに成立したイタリア王国の一都市として運命を共にすることとなりました。
20世紀以降は、港湾施設や産業の近代化が進められたため、現在では中世の面影を残したまま、近代的生活を両立させている希少な都市になっています。その影響で世界的観光地となった反面、観光公害も目立つようになり、2019年にはそれを取り締まるための厳しい条例が可決・施行されています。
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