エカテリンブルグの歴史

エカテリンブルクは、ロシア連邦中部・イチセ川沿いに位置するスベルドロフスク州の州都で、ウラル地域の政治経済文化の中心を担うロシア第四の都市でもあります。またロシア最大級の軍需機械工場やシベリア鉄道の起点を擁し、ウラル重工業の牽引役として、国家経済を支える上で重要な役割を果たしています。

 

都市名

「エカテリンブルク」という呼称は、都市を建設したピョートル1世の妻の名、エカチェリーナ1世にちなみ命名されました。ソ連成立後は革命家ヤーコフ・スヴェルドロフの名にちなみ「スヴェルドロフスク」に改名されましたが、ソ連崩壊後は再び「エカテリンブルク」に戻されています。

 

歴史

11世紀頃、ノヴゴロド共和国の商人が、毛皮交易の為、この地の往来を繰り返していたことがわかっています。16世紀末頃から鉱工業開発がさかんに行われるようになり、ピョートル1世治世下の1723年、この地に冶金工場が設けられました。この工場を中心に築かれた集落がエカテリンブルグの起源といえ、その後はデミドフ家をパトロンとして工業化が推し進められ、蒸気機関車の開通により、“シベリアへの交通の要地”としていっそうの発展を遂げていきました。

 

ソ連成立以降

1917年、ロシア革命により帝政ロシアが崩壊。その後、この地のイパチェフ館(現ロシア正教会の教会)に軟禁されたニコライ皇帝一家が、ロシア内戦の最中1918年7月17日、ソビエトの命により処刑されています。1922年以降はソ連の支配下に入り、引き続き産業の中心地として栄えました。第二次世界大戦で独ソ戦が開始されると、モスクワやサンクトペテルブルク(当時はレニングラード)など大都市から、多くの疎開工場を受け入れたことで、工業発展がさらに加速していきました。

 

 
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