マゼランとは何をした人?〜初めて地球一周を実現〜


マゼランの基本情報

 

本名:フェルディナンド・マゼラン
生年:1480年
没年:1521年
出身:ポルト近郊
死没地:マクタン島
功績:世界一周/地球球体説の証明

 

マゼラン(1480年 - 1521年)はポルトガル出身の航海者で、最初に地球一周を成し遂げた人物として知られています。ポルトガルの名家出身で、最初はポルトガル王に仕えるも、交渉決裂によりスペイン王に鞍替え。そしてアジア香料諸島に、西回り航路でたどりつけることをスペイン王に進言し、援助をとりつけ1519年『トリニダード』号に乗り西方へと船出したのです。

 

マゼラン自身は途中フィリピンの原住民との交戦で死亡していますが、部下が仕事を引き継ぎ、1522年9月、地球を一周してスペインに帰国。これは当時まだ地球平面説が有力視されていた時代に、地球が球体であることが証明された瞬間でもありました。

 

 

マゼランの偉業・功績

マゼランの功績といえば、やはり人類初となる世界周航を達成したことがあげられるでしょう。彼は1519年に西回り航路の開拓を開始し、1520年マゼラン海峡を発見、1521年にフィリピンに到達。マゼラン自身はこのフィリピンで戦死していますが、部下が意思を継ぎ、1522年スペインに到達しているのです。

 

この世界周航により地球球体説を証明しただけでなく、大洋としての太平洋を発見したことで、地球の大きさに関する知見を大幅にアップデートさせたことが非常に重要です。

 

その功績から、大マゼラン雲・小マゼラン雲、マゼランペンギン、宇宙探査機マゼランなどマゼランの名にちなんだ命名がたくさん存在します。

 

マゼランの死因

マゼランは大航海時代の最中、不慮の死を遂げており、その死因は滞在先における戦死です。マゼランはセブ島(フィリピン)に滞在を続ける中で、本来の目的を見失い、布教に執心するようになり、それに反感を抱いた先住民との戦闘の中で敗死したのです。

 

彼は先住民の改宗にあたり武力をちらつかせ、挙句、服従させるために町を焼いたりもしているのですから、反感を買うのは当然で、因果応報であったともいえます。

 

ただし戦闘はマゼラン軍勢49人に対して、先住民側はその30倍の1500人と圧倒的多勢であったというのですから、いくら自業自得とはいえ、多少の同情は禁じ得ません。