フランス国王アンリ4世が宗教対立に終止符を打つために発したナントの王令は、確かにユグノー(プロテスタント)の権利を拡大し、深刻な新旧教派の対立を融和するのに効果を発揮しました。しかしそれでも、ユグノーはパリ市内での礼拝を禁止されたり、カトリックに十分の一税を納めなければならなかったり、カトリックの祝...

ナントの王令を発布し、宗教対立に終止符を打ったアンリ4世
ナントの王令(ナントの勅令)はユグノー戦争の最中の1598年、ブルボン朝初代国王アンリ4世が、戦争の原因となった宗教対立に終止符を打つために発した王令です。アンリ4世は、この王令でプロテスタント(ユグノー)の信仰の自由と政治上の平等を認め、自身はカトリックに改宗することで、新旧教徒両方の顔を立て、40年続いた国内の宗教対立を収めました。この王令により国家統一が進み、王権が安定していったことから、フランス史においても重要な意味をもつ出来事といえます。
ナントの王令を廃止したルイ14世
ナントの王令によりプロテスタントの権利はかなり向上した一方で、パリでの礼拝は禁止したりと、一定の制限は維持されたままでした。そのため王令発布後も、宗教上の対立をもとにした火種は完全には消えず、これがのちにルイ13世によるユグノー弾圧の再開、ルイ14世によるフォンテーヌブロー王令(1685年)でのナントの王令廃止に繋がっていくのです。
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