ヨーロッパ史の時代区分

ヨーロッパ史の時代区分

古代ヨーロッパ世界も中世ヨーロッパ世界も、現代ヨーロッパとは明らかに違う性格を持ちますが、ヨーロッパをヨーロッパたらしめる、最も重要な要素が形成された時代でもあります。よって現代ヨーロッパ世界の成り立ちを知るためには、古代・中世・近世・近代それぞれの時代の性格をとらえ、全体の流れを把握する必要がある、といえます。

 

そのため「ヨーロッパ史を一から学びたい」という方は、まずここでヨーロッパ史の時代の分け方、各時代の特徴、重要な出来事について把握し

 

  • ヨーロッパがどのように文明化し、文化を発展させたのか。
  • どうしていち早く近代化に成功したのか。
  • いかにして植民地帝国を築き、世界をまとめあげたのか。
  • なぜ急激に没落し、立て直しを図ることができたのか。

 

といったヨーロッパ史の「骨格」となる部分を頭の中に作ってしまうといいでしょう。そうして全体の流れを掴んでから、「大航海時代」「ルネサンス」「宗教改革」など興味のある分野へと歩を進め「肉付け」していくのが、私的におすすめな欧州史勉強法です。

 

 

古代ヨーロッパ史

期間:紀元前2500年頃〜476年

 

ヨーロッパ史における「古代(acient)」は、ギリシア最古の文明であるエーゲ文明の成立(紀元前2500年頃)から、西ローマ帝国崩壊まで(476年)です。古代ギリシア全盛の時代にヨーロッパ文化の基礎が出来、のちにそれを引き継いだローマ帝国が地中海世界および西ヨーロッパ世界を平定したことで、現代に続くヨーロッパ世界の原型が形成されました。

 

ギリシア文明の成立

古代ギリシア全盛を象徴するパルテノン神殿

 

期間:紀元前8世紀〜紀元前2世紀

 

ヨーロッパ文明のルーツ・ギリシア文明の本格的な繁栄は、ポリス(都市国家)社会の成立にともない始まりました。ポリスは現ギリシャ共和国を中心に1000以上も存在した都市サイズの政治共同体のことですが、前5世紀に政治的・文化的に全盛期に達し、民主主義など現ヨーロッパ人の価値観の支柱となる部分や、哲学・地理学・天文学・医学など、広く様々な西洋科学の源流が誕生したのです。

 

 

古代ローマの成立

狼の乳を吸うローマの建国者ロムルスと弟レムスの像

 

期間:紀元前8世紀〜紀元後5世紀

 

前8世紀頃、イタリア中部に成立した都市国家ローマは、強大な軍事力を背景に領土を広げ、やがてはギリシア世界をも包含する領域国家を形成します。ギリシア文化を積極的に保護・継承・発展させたローマは、前1世紀には地中海世界統一を果たし、現在のヨーロッパの原型=言語(ラテン語)・文字(アルファベット)・宗教(キリスト教などを共有する世界を完成させました。

 

トラヤヌス帝期におけるローマ帝国最大版図(117年)

 

そしてローマ帝国が覇権を握る時代は、375年に始まるゲルマン民族の大移動で終わりを告げ、5世紀後半の西ローマ帝国の崩壊とともに、時代は中世へと移っていきます。

 

詳しくは古代ローマ時代へ

 

中世ヨーロッパ史

期間:476年〜15世紀中頃

 

ヨーロッパ史における「中世(middle age)」は、西ローマ帝国の崩壊(476年)を出発点とする、というところはほぼ統一見解といえます。どこを終点とするかは諸説ありますが、当『ヨーロッパ史入門』では、かなり一般的な見解である「古代帝国の命脈たる東ローマが滅亡し、百年戦争の終結にともない封建社会の崩壊が始まる15世紀中頃」を中世の終わりと位置付けています。この時代に東西ヨーロッパの文化的剥離が生じ、イギリスフランスドイツ・イタリアといった現在に続く西欧諸国の原型が形成されました。

 

東西ヨーロッパ世界の形成

期間:4世紀末〜11世紀

 

ゲルマン民族大移動の社会的混乱を受け、ローマ帝国は西ローマ帝国と東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に分裂します。西ローマ帝国は5世紀後半に滅んでしまいますが、その後西ヨーロッパに勢力の基盤を固めたフランク王国が、ローマ文化を引継ぎ、その発展と拡大に努めました。

 

西ローマ帝国の領土(赤)と東ローマ帝国の領土(青)

 

故西ローマ帝国の基盤を継承したフランク王国の最大版図(804年頃)

 

しかしフランク王国はゲルマン人により建てられた国だったので、ローマ人が支配する東ローマ帝国とは確執が広がり、現在の東西ヨーロッパ世界の原型が形成されたのです。

 

とりわけ宗教面の確執が顕著で、11世紀に東西の教会が分裂し、西は西方カトリック教会、東は東方正教会になりました。現在西欧ではカトリックが、東欧では正教会が主に信仰されているのはこれが理由です。

 

民族大移動期

民族大移動期、ローマ市内に雪崩れ込むゲルマン民族一派の西ゴート人(410年)

 

期間:5世紀〜9世紀

 

4世紀後半から始まったゲルマン民族の大移動は、ローマ文化とゲルマン文化の融合をもたらし、ヨーロッパの「多様性」の出発点となりました。さらにゲルマン民族の大移動が落ち着いた頃、西ヨーロッパにはノルマン人(海賊行為を生業にしていたヴァイキングのこと)が、東ヨーロッパにはスラヴ人の流入が始まり、ヨーロッパの構成要素はより複雑なものになっていきました。

 

中世に入り、ローマ文化を吸収したゲルマン人やノルマン人、スラヴ人が、ローマ人に代わるヨーロッパの新たな支配者となったことで、古代ヨーロッパ世界とは異なる、多様性に満ちたヨーロッパに生まれ変わったというわけです。

 

この新生ヨーロッパの成立過程は(民族大移動はしていないという違いはあるものの)、日本人が中国古典文化と仏教文化を受け入れつつ、伝統的な大和文化と融合させて独自の「日本文化」を創り上げたのに似ています。

 

詳しくは民族大移動時代

 

封建時代

フランス王ジャン2世による騎士叙任。封建社会において主体を成したのは「騎士」であり、騎士として認められる為には主君から叙任を受けなければならなかった。

 

期間:5世紀末〜15世紀

 

中世に入り、民族大移動後の混乱が原因で、ローマ帝国時代のような共同市場・単一通貨の経済体制は終わり、「領主」と「農民」の関係で成り立つ、農業生産・荘園をベースにした封建社会が成立しました。この体制は11〜13世紀に最盛期を迎えることになりますが、15世紀以降の主権国家体制の台頭で崩壊します。

 

詳しくは【封建制】へ

 

十字軍遠征

第一回十字軍遠征におけるアンティオキアの戦いを描いた13世紀の写本挿絵

 

期間:11世紀末〜13世紀末

 

中世になり、ヨーロッパの東に位置する中東では、イスラム教を柱とする広域国家が幅を利かせるようになります。7世紀になると、イスラム勢力はヨーロッパ世界(キリスト教世界)にも侵攻を開始し、イベリア半島や地中海の島々を次々と征服。キリスト教の聖地エルサレムまでも占領し、ヨーロッパは存続すら危ぶまれるようになるのです。

 

そんな中行われたのが、十字軍遠征という一大軍事行動です。ローマ教皇がヨーロッパの諸侯に呼びかけ、聖地奪回のためイスラーム世界に遠征軍を送り込むようになりました。中世における教皇権の強さを示すとともに、これに参加した諸侯の間に「ヨーロッパ人」という同胞意識を芽生えさせたイベントといえます。

 

なお十字軍遠征は、聖地奪回という宗教的目的以外に、当時ヨーロッパが農業経済により人口爆発していたことを背景として、居住地を拡大するという狙いもありました。

 

十字軍遠征の影響

 

11世紀末から13世紀末までの間に計7回十字軍の遠征は、初回をのぞきほとんどが失敗に終わり、イスラム勢力の牙城で戦うことの難しさが露呈した上、教皇権の失墜を招く結果となりました。

 

その一方で、遠征軍が中東に向かう「道」が整備されたことで、東方への交易ルートが開かれ、ヨーロッパに商業的発展がもたらされるという思わぬ恩恵もありました。特に、遠征軍派遣において重要な役割を果たしたイタリアの港市が大いに発展し、14世紀イタリアを中心に興るルネサンス運動を準備しました。

 

詳しくは【十字軍】へ

 

タタールのくびき

「タタールのくびき」の象徴とされるモンゴル人徴税官バスカクが、ロシアの市場を訪れる様子

 

期間:13世紀前半〜15世紀末

 

13世紀になると、アジアから急速に勢力を拡大していたモンゴル帝国がヨーロッパ東部に襲来し、ロシア諸侯国がモンゴル帝国の支配下に置かれてしまいます。およそ250年にもおよぶモンゴル支配時代(通称「タタールのくびき」)に、少なくない東欧の伝統文化が破壊されましたが、一方で「モンゴルの平和」を利用し、イタリアの商人が遠距離貿易を繰り返し、アジアの未知の土地にも進出するようになったことで、のちの大航海時代の布石にもなりました。

 

詳しくは【タタールのくびき】へ

 

 

近世ヨーロッパ史

期間:15世紀中頃〜18世紀末

 

ヨーロッパ史における「近世(early modern)」の始まりと終わりには諸説ありますが、多いのは、始まりを大航海時代の開幕にともなう15世紀中頃、終わりをフランス革命産業革命の始まる18世紀末頃とする見解です。中世封建社会に代わる主権国家体制、絶対王政の確立が最大の特徴といえます。そしてこの時代に起こった地理上の発見・ルネサンス宗教改革といった大変革は、ヨーロッパ人に宗教などに頼らず現実に即して物事を考える思考力を与え、それがもたらす科学発展は、近代以降ヨーロッパが世界をリードしていく原動力となったのです。

 

大航海時代

1502年に描かれたポルトガルによる「地理上の発見」を示すカンティーノ平面天球図

 

期間:15世紀中頃〜17世紀前半

 

ヨーロッパは11世紀以降、東地中海地域を介してアジアの貴重な産品を入手していました(料理文化の発達を背景に、とりわけ香辛料が欠かせない品に)。しかし15世紀になると、イスラム国家オスマン帝国の台頭で、東方への交易ルートが遮断されてしまったため、その損失を補う血路として大西洋航路の開拓を開始します。

 

しかしこの選択は、喜望峰経由のヨーロッパーインド洋航路の発見でアジア香辛料貿易に直接介入できるようになったり、“新世界”アメリカ大陸の発見で、ヨーロッパにはない貴重な動植物資源・鉱物資源(とりわけ金銀※)がザクザク入手できるようになるなど、結果的に功を奏することになるのです。

 

アメリカ大陸を「発見」したクリストファー・コロンブス

 

「海の向こうには莫大な富がある」とわかると、地の利のあるポルトガルスペインを皮切りに、ヨーロッパ諸国は我先にと大西洋へと飛び出ていき、海外市場獲得に奔走するようになりました。こうしてヨーロッパの通商圏が地球規模に拡大していく時代、いわゆる「大航海時代」の幕が開けたのです。

 

「世界の一体化」の始まり

アメリカ植民地獲得や交易利権の拡大に奔走し、世界各地の市場がヨーロッパの交易網に組み込まれていったのです。複数の地域世界が互いに密接に影響し合う「世界史」の始まりでもあります。

 

大航海時代が始まると、アジアや南北アメリカの状況がヨーロッパの人々にも知られるようになり、上流階級のみならず、庶民層も世界中の物や情報に触れられるようになりました。また今までヨーロッパ領域に留まっていたキリスト教の布教活動も世界規模に広がっていきました。

 

日本には西洋の鉄砲が伝来し、国の戦争のあり方を大きく変えた他、ヨーロッパ人の来航で地球が球形であることを知り、世界地図がもたらされアフリカやヨーロッパ、アメリカという別世界があることを知りました。ヨーロッパの地球規模での世界進出は、日本の様々な常識をくつがえす衝撃的な出来事でもあったのです。

 

詳しくは【大航海時代】へ

 

ルネサンス

ルネサンス期を代表する絵画『アテナイの学堂』(ラファエロ画)。時代を越えた古代ギリシアの哲学者達が勢ぞろいしている。人間中心的な古典古代文化が隆盛した当時の世相を反映した作品である。

 

期間:14世紀〜16世紀

 

キリスト教の普及はヨーロッパを宗教的な面で統一に向かわせたものの、人々は教皇権の強すぎる制約に、息苦しさを感じるようになっていました。13世紀以降さかんになった「悪魔に魂を売った」とみなした者に対して徹底的な弾圧を加える「魔女狩り」などは明らかにやりすぎです。

 

そんな中、キリスト教的世界観からの自由と解放を求め起こったのが、ルネサンスrenaissance(フランス語で「再生」の意)と呼ばれる文芸復興運動です。個性を尊重する古代ギリシア・ローマ文化が手本とされ、イタリアを中心に美術・建築・音楽・文学・宗教など幅広い文化領域で目覚ましい発展がみられました。

 

運動はやがてアルプス以北のドイツにも波及し、そこでキリスト教の信仰が改めて研究対象になったことで、宗教改革にも結びつきました。

 

詳しくは【ルネサンス時代】へ

 

宗教改革

ドイツ教会の門扉にカトリック教会の免罪符販売を批判する『95か条の論題』を貼りだすルター。宗教改革の発端となった。

 

期間:16世紀初頭〜17世紀前半

 

キリスト教はヨーロッパを構成する重要な要素の一つですが、現在キリスト教はローマ教会を頂点とする「カトリック」と、そこから分派した「プロテスタント」の二派に大別されています。その分裂のきっかけとなったのが、16世紀に神聖ローマ帝国で起こったルター宗教改革です。

 

改革運動は、ルターによるローマ教会批判から全ヨーロッパに波及し、多くの宗教紛争を引き起こしました。また労働の尊さを説き利潤追求を肯定するカルバン派の台頭は、資本主義の精神に繋がり、近代ヨーロッパ世界形成において重要な要素となりました。

 

詳しくは【宗教改革】へ

 

絶対王政の確立

絶対王政を象徴する三人の君主。左からフェリペ2世、エリザベス2世、ルイ14世

 

期間:14世紀〜17世紀

 

大航海時代ルネサンス宗教改革と同じ頃、ヨーロッパ諸国では国のあり方が変わり始めます。貨幣経済の浸透で荘園をベースにした封建国家体制が終わり、さらに教皇権の低下※に反比例して王権が強まったことで「王が国の絶対的権力者として君臨」する絶対王政(主権国家体制の初期形態)という新しい国家スタイルが主流になったのです。

 

教皇権の衰退は、教皇が呼びかけた十字軍遠征の度重なる失敗や、教会大分裂などで信用を失ったことが原因。

 

中世末期、百年戦争を始めとした大国同士の激しい戦争が行われる中、国はより多くの戦力を集めるために中央集権化(一つの国際秩序の形成)をおしすすめる必要があったというのも背景にありました。

 

絶対王政では、戦争が国家の独占的公共事業になり、大半の人間が国王のもとに置かれ、主権者である王は莫大な財源を思いのままにしました。16世紀にはスペインが、17世紀にはオランダイギリスフランスなどの中央集権国家が台頭し、フェリペ2世エリザベス1世ルイ14世など世界史に名を残す王が誕生しています。

 

主権国家体制の確立は、近代的国民国家形成の出発点となった、というのも重要です。

 

詳しくは【絶対王政】へ

 

重商主義政策

期間:16世紀前半〜18世紀前半

 

16世紀に入り、ヨーロッパの主権国家は「重商主義」にもとづく経済政策をとるようになります。官僚・軍隊の給与などで何かとコストのかかる絶対王政を維持するため、とにかく商業を重視して富をかき集めようとしたのです。

 

重商主義政策は、貨幣そのものの獲得を目指し植民地での金銀産出に重きをおく「重金政策」から、金銀よりも貿易黒字による貨幣蓄積に重きをおく「貿易差額主義」に変容していきました。

 

詳しくは【重商主義】へ

 

イギリスの台頭

 

期間:17世紀〜

 

近世ヨーロッパの主役といえば、しばらくは大航海時代の先駆者となったポルトガルスペインの独占状態でしたが、17世紀になると、清教徒革命名誉革命などを経て、絶対君主を打倒・立憲王政を確立したイギリスにその座が移ります。イギリスはフランスとの植民地抗争に勝ち西インドに植民地を確立すると、三角貿易(英国-北米-西インド)の富を背景に、ヨーロッパでも抜きんでた経済力・軍事力を持つようになるのです。

 

大英帝国全盛期の女王ビクトリア

 

のち18世紀後半には産業革命の先駆けとなり、急速な工業化と経済発展を背景に、「世界の警察」然としてふるまう「パックス・ブリタニカ(イギリスによる平和)」を体現しました。近世末から近代末までの「ヨーロッパ優位の世界構造」というのは、ほぼイギリス(大英帝国)が主導していたもの、ということは事実として知っておきましょう。

 

 

近代ヨーロッパ史

期間:18世紀末〜1989年

 

ヨーロッパ史における「近代(modern)」は、フランス革命産業革命の勃発する18世紀末から始まるとする説が一般的です。終点については諸説ありますが、近年多いのは東欧革命(1989年)を境にするという見方です。冷戦時代の始まりとともに、ヨーロッパは東西に引き裂かれてしまいますが、東欧革命は再びそれを一つに戻す画期的な出来事だったからです。そして産業革命を背景とした資本主義経済の確立、それにともなう植民地競争の激化および西欧列強の対立が近代最大の特徴といえます。

 

大西洋革命

アメリカ独立革命の始まりとなったレキシントンの戦い(左)とフランス革命の始まりとなったバスティーユ襲撃(右)

 

期間:18世紀末

 

18世紀末のヨーロッパは革命に揺れた時代です。主にイギリス支配からの独立を目指すアメリカ独立革命(1763〜1783年)と、旧制度からの脱却を目指すフランス革命(1789〜1799年)が震源となりました。

 

アメリカ独立革命は、イギリスが七年戦争後の財政難から植民地に重税を化したことで、アメリカ植民地住民の怒りを買ったため。フランス革命は、アメリカ独立戦争を支援した軍事費のため財政難に陥ったことから、国王への不満が爆発したことで引き起こされています。

 

双方とも大西洋を隔てた出来事ですが、明らかに相互に影響を与えているため、しばしばひとまとまりに「大西洋革命」という呼び方がされます。大西洋革命は、近代国家と近代市民社会に不可欠な基本原理を生み出し、近代ヨーロッパ史への転換点となりました。王ではなく国民が国を動かす近代世界創世がいよいよ始まるのです。

 

フランス革命の影響

 

フランス革命は、市民の反乱で王政が打倒され、国王がギロチンにかけられる、というヨーロッパ中に激震が走る出来事でした。当時は王を絶対君主とする主権国家体制が主流だったので、フランスで起きた惨劇が「自国でも起きるのでは」と各国の王は危機感を募らせたのです。

 

そこでヨーロッパ諸国は、団結してフランスの革命勢力を潰しにかかります。フランス側も外国からの干渉に徹底抗戦どころか逆に侵略を開始し、フランス革命戦争ナポレオン戦争とヨーロッパ中を巻き込む戦争に発展していきました。フランス革命に端を発する社会的混乱により、ヨーロッパ諸国は身動きのとれない状態となり、中南米の植民地(とりわけスペイン植民地)の相次ぐ独立を許す結果になったのです。

 

 

近代国民国家の発展

期間:19世紀初頭

 

ナショナリズムの台頭

フランス革命の混乱を治めたナポレオンは、国民からの熱烈な支持を受け「フランス皇帝」として君臨、次いでヨーロッパ全体を支配下に置くことに野心を燃やしました。ナポレオンによるヨーロッパ征服が進むにつれ、ヨーロッパ諸国の間で、フランスへの反発心・連帯意識から、同一民族(同じ言語や文化を共有する集団)の国民国家(NationState)を権利として求める主張や運動=ナショナリズムの台頭を招きました。

 

ウィーン体制の崩壊

ナポレオン失脚後、ヨーロッパ諸国は従来の「王が絶対者として君臨する」体制に戻そうとしました。しかしナポレオン支配の時代を経て、ヨーロッパにはもう「自由」や「平等」といった理念が定着していたため、俗に「ウィーン体制」と呼ばれる旧態依然とした抑圧的な反動体制に対する反発は年々高まっていきます。

 

ウィーン体制の理念や方針を定めたウィーン会議の様子

 

1848年で反抗はピークに達し、フランスの復古王政打倒に始まり、ベルギーオランダからの独立、イタリアのオーストリアからの解放と国家統一、ギリシャのトルコからの解放、プロイセン主導の統一ドイツ形成といったように、なし崩しに旧体制が崩壊していったのです。このウィーン体制の崩壊を受け、いよいよ近代国民国家の時代に入ります。

 

詳しくは【ウィーン体制】へ

 

産業革命

蒸気機関を搭載した蒸気機関車は、工場生産の原材料・製品の輸送効率を大幅に上げ、産業革命の中核をなした。

 

期間:18世紀後半〜19世紀末

 

ウィーン体制の崩壊や国民国家の形成とともに開始されたのが、工業社会への急速な移行です。あらゆるものが機械化され、農業中心の経済状態からの離陸現象が起こったのです。この「産業革命」と呼ばれる現象の始まりは、広大な植民地(海外市場)を持っていたイギリスでしたが、19世紀以降は他のヨーロッパ諸国も、イギリスに追いつけ追い越せとばかりに工業化を遂げていきました。

 

ヨーロッパが産業革命を起こせたのは、もともとこの地域に技術的な先進性と優位があったのが大きいといえます。ルネサンス科学革命による科学的な発見や発明の積み重ねが、産業革命の原動力となったのです。

 

詳しくは【産業革命】へ

 

帝国主義の拡大

期間:19世紀後半〜

 

ヨーロッパでは19世紀後半からの鉄道網の発達で、情報伝達の迅速化や国内市場の一体化が起こり、生産量・貿易規模などが質量ともに爆発的に拡大しました。より多くの資源を確保するため、これまで以上に海外市場を広げる必要が出てくるのです。こうしてヨーロッパ諸国による植民地獲得競争が激化する「帝国主義」と呼ばれる時代に突入するのです。

 

帝国主義の時代には欧州列強によるアフリカ争奪戦(アフリカ分割)が繰り広げられ、ドイツ支配下のナミビアでは1904年、先住民ヘレロ族に対する虐殺事件も起こった。画像は鎖に繋がれるヘレロ族。

 

植民地主義・帝国主義の拡大とともに、大航海時代以降続いていた“ヨーロッパ主導”の「世界の一体化」はますます加速。アフリカ・アジア・太平洋・カリブ海地域など、地球規模でヨーロッパの文明が誇示されるようになりました。一方帝国主義国の政治経済体制への変容を迫られた占領地では、20世紀に加熱する民族運動の芽生えがみられるようになるのです。

 

ヨーロッパでは近代産業と近代科学に支えられて市民文化が成熟し、人々も非ヨーロッパ地域に対する優越意識から、帝国主義に疑問を持ちませんでした。

 

アメリカの台頭

 

期間:19世紀後半〜

 

長らくヨーロッパの植民地に過ぎなかったアメリカですが、近代に入るとヨーロッパの干渉を排除し、南北戦争終結後には、政治的安定から急速な経済成長を開始しました。帝国主義の争いに参入した上、19世紀末には工業生産力でイギリスを凌駕するなど、ヨーロッパに匹敵する強力なライバルとして台頭するのです。

 

アメリカとヨーロッパ各国の関係については【アメリカとヨーロッパの関係】のカテゴリにまとめています。

 

ドイツの台頭

 

期間:19世紀後半〜

 

19世紀以降ヨーロッパ全体で工業化の動きが加速しますが、最も目覚ましい成長を見せたのがドイツ帝国です。建国間もなく、他のヨーロッパ列強に遅れて植民地獲得競争に参入し、19世紀末までに工業生産力ではイギリスに肩を並べていました。そして既得権益を守りたい英仏ロシアと、新興ドイツ帝国の対立が、20世紀に起こる二つ大戦の布石となるのです。

 

二つの世界大戦

第一次世界大戦(左)と第二次世界大戦(右)

 

期間:20世紀前半

 

20世紀は戦争の世紀です。産業革命以降確立された資本主義経済体制は、市場獲得のための植民地獲得競争を激化させ、帝国主義国家同士の激しい対立を引き起こしました。その対立がピークに達したのが、第一次世界大戦第二次世界大戦という、世界規模に延焼した未曾有の悲劇です。

 

第一次世界大戦後は国際連盟による平和の実現が模索されましたが、世界恐慌が起こると、そんな国際協力の雰囲気は一挙に冷え込んでいきました。特に第一次大戦における莫大な賠償金を抱えたドイツは、経済的に追い込まれ、そこにつけこんだナチズムの台頭が第二次世界大戦の誘因になってしまったのです。

 

この二つの大戦は、近代化を遂げたヨーロッパ諸国の圧倒的な経済力・軍事力を示したと同時に、その圧倒的な力同士が衝突してしまったが為に、ヨーロッパの荒廃と没落を招いたのです。そして戦後はヨーロッパに代わり、ソ連・アメリカという二つの超大国による新しい国際秩序が開始されました。

 

 

第一次大戦以降の変化

 

対立軸の変容
百年戦争以来、フランスイギリスの覇権闘争はヨーロッパ情勢の最も重要な対立軸でした。しかし20世紀に入ると、この両国が手を取り合い、既得権益を脅かすドイツ帝国を抑え込む、という構図の変化が起きたのです。英仏による対独戦略の徹底により起きた「ドイツの孤立化」が、二つの世界大戦への導火線となった面もあります。

 

国民国家の完成
第一次世界大戦は総力戦となったことで、参戦国における政治・社会構造の変化や、政治体制の崩壊を招きました。ヨーロッパはフランス革命、ウィーン体制の崩壊を経て、民族を基盤にした国民国家体制へ移行が始まっていましたが、第一次世界大戦でオスマン帝国、オーストリア帝国が崩壊したことで、それが完了したのです。

 

アメリカの覇権
二つの大戦により、ヨーロッパは疲弊し没落してしまったのに対し、連合国の勝利に貢献したアメリカ合衆国は逆に力をつけ、ヨーロッパを抜いてついに世界の覇権国として躍り出るようになりました。

 

ソ連の台頭
未曾有の被害を受け、近代ヨーロッパが発展させた政治や経済体制、思想に疑問が投げかけられるようになり、それに代わる経済の仕組みが提起されるようになりました。そんな中で史上初の社会主義国家ソビエト連邦(通称ソ連)が誕生し、ヨーロッパの新たな勢力として台頭するようになります。

 

冷戦

東西冷戦の象徴となったベルリンの壁

 

冷戦第二次世界大戦後から1991年12月のソ連崩壊まで続いていた、アメリカを筆頭とした西側諸国と、ソ連を筆頭とした東側諸国により生み出された軍事的緊張状態のことです。冷戦期のヨーロッパは、「鉄のカーテン」を境に西側の資本主義陣営と東側の社会主義陣営で対峙する政治的分断状態にありました。とりわけ西ヨーロッパ諸国は派閥による政治的混乱で立て直しに苦慮しましたが、マーシャルプランを始めとしたアメリカの経済援助を受けることで、着実に復興と経済発展を遂げていきました。

 

詳しくは【冷戦時代】へ

 

欧州連合(EU)成立

 

期間:20世紀後半

 

未曾有の規模となった二度の大戦を経てヨーロッパはすっかり荒廃してしまいました。世界大戦の傷痕を癒すため、東ヨーロッパ諸国はソ連から、西ヨーロッパ諸国はアメリカからの経済援助を受け入れることになりましたが、これは同時にヨーロッパ諸国が自立性を失い、二大超大国に取り込まれてしまうことを意味していました

 

ヨーロッパは米ソの谷間に埋没し、ヨーロッパの存立が外界の超大国に左右される、という歴史上初めての状況に陥ったのです。そんな危機的状況を受け、「もう喧嘩している場合じゃない」と戦争に明け暮れた近代史を反省し、連帯して政治・外交課題に取り組み、侵略や征服に頼らず成長していく政治同盟が模索されるようになります。

 

その結果、ECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)・EEC(ヨーロッパ経済共同体)・EURATOM(ヨーロッパ原子力共同体)などの経済同盟が成立し、さらにこれらが統合して、現在に続く欧州連合(EU)が誕生したのです。

 

詳しくは【欧州連合(EU)】へ

 

東欧革命

東欧革命を象徴する「ベルリンの壁崩壊」で沸き立つベルリン市民

 

東欧革命冷戦時代末期の1989年から、ソ連の支配下にあった東欧諸国で連鎖的に発生した民主化革命のことです。「革命」というと歴史的には暴力がつきものでしたが、東欧革命ではほとんど流血起こらず、諸国は極めて平和的に民主化を遂げていきました。

 

この出来事はソ連崩壊の直接的な導火線となっただけでなく、ヨーロッパにおいては近代と現代を隔てる重要な画期とされています。なぜなら東欧諸国が民主化を遂げたことで、冷戦時代を通して分断状態にあったヨーロッパが、再び1つの共同体として歩み始めるようになったためです。2000年代に入ると東欧諸国も欧州連合(EU)に加盟していき、ヨーロッパ統合の動きは本格化していきました。

 

詳しくは【東欧革命】へ

 

 

現代ヨーロッパ史

期間:1989年〜現在

 

現代(contemporary history)」とは現在、今まさに進行している時代のこと。ヨーロッパ史においては、前述した通り、東欧革命を現代の始まりとする見方が強いです。というのも、ヨーロッパは近代以降、植民地主義にもとづく覇権争いの末、「二つの大戦」を経験しボロボロに。戦後もその余波は「東西分断」という形で続きましたが、東欧革命はその分断状況に終止符を打ち、「一つのヨーロッパ」として再び歩み出す画期となったからです。2000年代に入り、西欧が主導して創設した欧州連合(EU)に東欧諸国も次々と加盟していったこと、単一通貨ユーロが導入されヨーロッパの経済統合が実現したことは、東欧革命前後で明らかに違う「新時代」の始まりを象徴する出来事といえるでしょう。

 

以上ヨーロッパの時代区分(古代・中世・近世・近代・現代)の特徴を解説しました。ヨーロッパの時代の流れ、時代ごとの特徴を知ることは、その地域の歴史や文化を深く理解する上で非常に重要です。古代ギリシャやローマ時代の哲学、法、芸術から中世のキリスト教文化、ルネサンス期の科学と芸術の発展、産業革命による社会構造の変化、そして現代の多文化的な融合に至るまで、ヨーロッパの文化は時代を経るごとに多様化し、複雑な形を成してきました。これらの時代を理解することは、現代のヨーロッパ社会やその価値観を把握するための鍵にもなるのです。