ガーンジー島の歴史

ガーンジー島/UnsplashEnrapture Captivating Mediaが撮影した写真

 

ガーンジー島は、イギリスフランスの間、イギリス海峡のチャンネル諸島に属するイギリス王室領の島です。観光業および園芸農業がさかんで、ガーンジー種の乳製品の生産地としても有名です。そんなガーンジー島はどのような歴史を辿ってきたのでしょうか。

 

 

名前の由来

正式名称は「Bailiwick of Guernsey」で、「Bailiwick」とは「代官の管轄区」という意味です。

 

支配の歴史

古代

ガーンジー島はもともとは大陸ヨーロッパと陸続きの島で、古代においては、大陸で農耕民族に追われた狩猟民族が先住民族として暮らしていたようです。

 

中世

10世紀にノルマンディー公ギヨームが、ブルターニュ公国からチャンネル諸島を奪い、11世紀ノルマンディー公ギヨーム2世がイングランド征服(ノルマン・コンクエスト)を行ったことで、ノルマン朝イングランド王国の一部となりました。以来この島はイギリス王室領として定着します。

 

近代

第二次世界大戦中の1940年から45年にかけて、チャンネル諸島がナチスドイツの侵攻にあい、諸島の一つであるガーンジー島もナチスに占領されました。イギリス海峡に位置する島々が抑えられたことで、イギリスにとってナチスドイツの軍事的脅威が間近に迫り、多くの島民がイギリス本土に避難することとなりました。