バッハとは何をした人?〜音楽の父〜


バッハの基本情報

 

生年:1685年
没年:1750年
出身:アイゼナハ
死没地:ライプツィヒ
別名:「大バッハ」「音楽の父」
功績:西洋音楽の基礎を確立

 

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685年〜1750年)はバロック音楽を代表するドイツの作曲家で、西洋音楽の基礎を築いた実績から「音楽の父」とも称される人物です。高名な音楽一家バッハ家のもとに生まれ、父ヨハン・アンブロジウス・バッハのもとで幼少期から音楽を学びました。青年期にワイマール宮廷に気に入られ、1703年から宮廷バイオリニストとして、1708年から宮廷オルガン奏者として活躍しています。なんといっても彼にはイタリアフランスなど異文化のバロック音楽を吸収し統合した功績があり、バッハ一族の中でもひときわ優れた才能を発揮したことから「大バッハ」とも呼ばれています。

 

 

バッハの偉業・功績

西洋音楽の基礎を構築

バッハは西洋音楽の源流を形成した、音楽史上最大の作曲家の1人とみなされており、日本では「音楽の父」とも称されています。バッハ家は200年続く音楽の家系ですが、大バッハ(J.S.バッハ)と称される彼は、その中でもひときわ優れた楽才を持っていました。

 

バロック音楽を統合

バッハはバロック時代末期の作曲家として、それまでのバロック音楽の様式を統合した功績で認められています。さらにそれにとどまらず、自らのアイデンティティであるドイツ音楽にイタリアとフランスの音楽様式を吸収し、ヨーロッパ音楽の統合まで実現させています。

 

バッハの生涯の年表

1685年 誕生

音楽一家のバッハ家の8人兄弟の末っ子としてアイゼナハに生まれる。

 

1700年 聖歌隊員に

リューネブルクに移り、ボーイ・ソプラノとして「朝課合唱隊」の聖歌隊員となる。

 

1703年 宮廷楽師に

ミカエル学校卒業後、宮廷楽師を務めたのち、教会のオルガニストとして働くようになる。

 

1708年 ワイマール宮廷オルガニスト兼宮廷楽師に

ミュールハウゼンの教会オルガニストから、よりよい待遇を求めてワイマール宮廷オルガニスト兼宮廷楽師に転身する。

 

1723年 音楽監督に

ライプツィヒで音楽監督に就任し、多くの教会音楽を手がけるようになる。

 

1750年 死去

眼疾患の手術失敗・薬品投与による衰弱と脳卒中の発作により死去。