レピドゥスとは何をした人?〜第二回三頭政治の一角〜

オクタウィアヌスとアントニウスに脅されるレピドゥス(右の人物)/ウィリアム・シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』の挿絵より

 

レピドゥスの基本情報

 

本名:マルクス・アエミリウス・レピドゥス
身分:パトリキ
誕生:前89年頃
死没:前13年
地位:執政官(前46年,前42年)
政策:第二回三頭政治

 

レピドゥス(前89年頃 - 前13年)は古代ローマの政治家で、アントニウス、オクタウィアヌスとともに第二回三頭政治を組織した人物として知られます。名門アエミリウス家の出身で、カエサルポンペイウスの内乱においてはカエサルに味方し、前46年からは独裁官となったカエサルの副官を勤めていました。

 

カエサル暗殺後はアントニウス、オクタウィアヌスとともに第2回三頭政治を組織し、反カエサル派掃討で協力するも、しだいに他二人に実権を奪われていき、前36年には失脚の憂き目にあっています。

 

レピドゥスの失脚

第二回三頭政治の一角としてオクタウィアヌス、アントニウスと共に地位を確立したレピドゥスですが、戦功により名声を高めていく2人に対し、レピドゥスは目だった活躍がなく、しだいに蚊帳の外になっていきました。

 

焦ったレピドゥスは前36年オクタウィアヌスの打倒を画策するも頓挫してしまい、オクタウィアヌスにほとんどの役職をはく奪され、失脚するのです。その後レピドゥスはローマから離れ、死ぬまで隠居生活を送りました。

 

レピドゥスは大した業績は残せなかったものの、共和政末期の有力政治家の中で、自然死による最期を迎えることが出来た、数少ない人物の一人でもあります。