メディチ家は15世紀後半のピエロ(1416〜69年)、ロレンツォ(1449〜92年)の代に最盛期を迎えますが、ロレンツォの死後は、失政により市民の怒りを買い追放され、メディチ銀行の破綻もあって、衰退の一途を辿っていきます。
1512年にハプスブルク家の力を借りてフィレンツェに復帰し、1569年にはトスカーナ大公国を建設するも、ポルトガル・スペインの大西洋進出(大航海時代の開始)により、フィレンツェ経済の柱となってきた、東西貿易が下火になっていきました。
大航海時代の開幕は、ヨーロッパ経済の重心を地中海沿いのイタリアから太平洋沿いのポルトガル・スペインに移し、メディチ家衰退の一因となった。
そして17世紀には、中央集権化を進めるフランスの台頭もあり、トスカーナ大公国はもはや、イタリアの一小国でしかなくなっていたのです。
こうして再興の機会もないまま、1737年、第7代トスカーナ大公ジャン・ガストーネが子孫を残さず亡くなったことで、メディチ家の歴史は終わりを見ました
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