1000年以上もの歴史を誇った東ローマ帝国がどの様に衰退していき、何故滅亡したのでしょうか。ここでは、東ローマ帝国が衰退した理由について解説していきます。
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西暦1180年に皇帝マヌエル1世が死去した後、アンドロニコス1世が強行政治を行いますが、貴族達の反対に遭い失墜します。また、財政管理も弱かったため、帝国の権威はどんどん落ちていきました。
加えて、皇帝継承争いが絶えないことも帝国弱体化の一因と考えられます。皇帝に就くため、及び皇位を守るためにとても残忍な手段が取られていました。この様に東ローマ帝国衰退の1つ目の理由としては、国内の政治権力の不協和音が挙げられます。
続いて2つ目の理由は外国による侵攻です。東ローマ帝国の権力争いが激化している最中の西暦1203年、第4回十字軍により首都コンスタンティノープルが包囲され、一時的に東ローマ帝国は滅亡してしまいます。
第4回十字軍の攻撃を受けるコンスタンティノープル
その後帝国はどうにか復活し、西側諸国に援助も求めましたが、大きな援助は得られず最終的には1453年にオスマン帝国軍により滅亡させらてしまいます。
以上の様に、帝位争いや長年の戦などの国内外の問題により国力は打撃を受け弱体化し、東ローマ帝国は次第に衰退していき、滅亡していきました。
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