フランク王国が分裂した理由とは?

フランク王国は、最盛期には、現在のフランスドイツイタリア北部、オランダベルギーなどを含む、西ヨーロッパ全域を支配していました。しかしこの西ヨーロッパの統一というものは、カール大帝と、各地の諸侯の個人的繋がりに頼るところが大きかったので、彼の死後土地の権利をめぐり抗争が勃発します。その抗争の和平としてヴェルダン条約(843年)が締結され、王国領は「東フランク王国」「西フランク王国」「中部フランク王国」の3か国に分裂。

 

ヴェルダン条約で定められた国境

 

さらに中部フランク王国を統治していたロタール2世が没すると、メルセン条約(870年)で中部フランク領が、東フランク王国・西フランク王国・イタリア王国それぞれに割譲されることとなり、東フランク王国はドイツ、西フランク王国はフランスイタリア王国はイタリアへと発展していったのです。

 

メルセン条約で定められた国境