アレクサンデル6世とは何をした人?~ボルジア家出身の教皇~

アレクサンデル6世とは

アレクサンデル6世はルネサンス期のローマ教皇でありボルジア家出身の人物であった。縁故主義と政治的策謀で権勢を拡大したことで知られる。本ページでは、このあたりのバックグラウンドと後世への影響について詳しく掘り下げていく。

アレクサンデル6世とは何をした人?~ボルジア家出身の教皇~


アレクサンデル6世の基本情報

 

本名:ロドリゴ・デ・ボルジア
誕生:1431年ハティバ
死没:1503年ローマ
在位:1492年 - 1503年
家系:ボルジア家


アレクサンデル6世(1431年 - 1503年)はルネサンス時代および大航海時代初期のローマ教皇で、宗教改革の先駆ともいわれるサボナローラを断罪し火刑に処すなど、その好色さや強欲さから最も悪名高い教皇の一人として知られます。本名はロドリゴ・デ・ボルジア。名前からわかる通り、暗殺や策謀で成りあがったことで有名なボルジア家出身です。スペインに生まれ、1455年教皇となった叔父のもとで要職を歴任。就任後は教皇権の拡大に執心し、要職を身内で固めて、権力の集中を推し進めました。


アレクサンデル6世の「栗拾いの宴」とは

アクレサンデル6世の悪名に最も大きく貢献している「栗拾いの宴」という逸話があります。これは1501年10月30日に行われたと記録される乱交パーティーで、懐柔のために枢機卿を教皇庁内に招き入れ、用意した50人もの高級売春婦とお楽しみをさせたという、およそ神の使いのエピソードとは思えないお話です。なぜ「栗拾い」なのかというと、その乱交パーティーでは余興として、床に落ちた栗の実を、到底このような全年齢向けサイトではいえない下品な方法で拾うという芸者遊びを行っていた事に由来しています。