ルネ・クレールとは何をした人?〜サイレント映画時代を代表する映画監督〜

 

ルネ・クレールの基本情報

 

本名:ルネ=リュシアン・ショメット
誕生:1898年フランスにて
死没:1981年フランスにて
代表作品:『イタリアの麦わら帽子』『巴里の屋根の下』

 

ルネ・クレール(1898年 - 1981年)はサイレント映画時代を代表するフランスの映画監督で、『イタリアの麦わら帽子』『巴里の屋根の下』などを代表作に持つ、詩情と風刺が融合した作品を作ることで知られます。パリに生まれ、はじめは俳優として映画界に入りましたが、『眠るパリ』(1923)を作ったのを皮切りに映画監督に転身。27年フランスサイレント喜劇の傑作と評される『イタリアの麦わら帽子』 を公開しています。そして30年公開のトーキー映画デビュー作『巴里の屋根の下』が国際的な評価を得て、一躍有名監督となったのです。第二次大戦後も数々の秀作を輩出し、1960年には映画人としては初のアカデミー・フランセーズ会員となっています。

 

 

ルネ・クレールの作品

『巴里の屋根の下』

『巴里の屋根の下(原題:Sous les toits de Paris)』は、もともとトーキーには否定的であったルネ・クレールが初めて手がけたトーキー映画です。1930年公開。フランス・ドイツ合作で、パリの下町を舞台に、一人の若い女性をめぐる三角関係が展開されるロマンティック・コメディとなっています。

 

 

『自由を我等に』

『自由を我等に(原題:A nous la liberte)』は、機械化と大量生産の時代で見失ったものに向き合い、貧富の差が広がる社会への批判が込められた、歌あり笑いあり涙ありの人情劇的物語です。1931年公開。裏話として、チャップリンの『モダン・タイムス』(1936年)が『自由を我等に』に酷似しているとして、『自由を我等に』を手がけた映画会社がチャップリンを告訴しています。しかしルネ・クレール自身は気にしておらず、許容する旨の声明を出したことから、チャップリンの勝訴に終わりました。