冷戦末期、ポーランドでは食品価格のインフレとそれにともなう食糧不足・貧困を受け、国民の暴動・ストライキが多発していました。暴動鎮圧に出動した軍隊との衝突で死者が続出しようと、東側共産主義国で初の自主管理労働組合「連帯」のもと、反政府運動が過熱していたのです。
社会主義体制の終焉
歯止めの効かない抗議運動を前に、譲歩せざる得なくなった政府は、円卓会議による合意に基づいて、1989年6月初めて自由選挙を実施します。その結果社会主義のポーランド統一労働者党は惨敗し、非共産の「連帯」が政権を獲得。ポーランド人民共和国は消滅し、現在に続くポーランド共和国が成立したのです。