ハイドリヒとは何をした人?~「最終的解決」の推進および遂行者~

ハイドリヒとは

ハイドリヒは親衛隊高官としてユダヤ人絶滅政策「最終的解決」を主導した。周到な計画と冷酷な遂行で恐れられたことで知られる。本ページでは、このあたりのバックグラウンドと後世への影響について詳しく掘り下げていく。

ハイドリヒとは何をした人?~「最終的解決」の推進および遂行者~

ハイドリヒ


ハイドリヒの基本情報

 

氏名:ラインハルト・ハイドリヒ
渾名:金髪の野獣
誕生:1904年ザクセン州
死没:1942年プラハ
官職:国家保安本部長官
実行政策:「最終的解決」の推進および遂行


ハインドリヒ(1904年 - 1942年)はナチス・ドイツの政治家・軍人で、ユダヤ人絶滅政策である「最終的解決」の推進および遂行者として知られる人物です。国家保安本部長官として全警察機構を掌握し、反ナチス勢力やユダヤ人の迫害に大きく関与しました。その冷酷さから部下からつけられた渾名は「金髪の野獣」。


そんなハインリヒは、戦時中はチェコスロバキアの統治にあたっていましたが、1942年、イギリスとチェコスロバキア亡命政府の共同で実行されたエンスラポイド作戦(類人猿作戦)により暗殺されています。なおヒトラーはこの暗殺を受け、プラハ近郊の村リディツェを犯人を匿っていると因縁をつけ襲撃し、成年男子は銃殺、女子は収容所送りにし、全村を焼き払うという報復を実行しています。


ハイドリヒとヒムラーの関係

親衛隊長官であるハインリヒ・ヒムラーはヒトラーの腹心的な存在であり、親衛隊ゲシュタポ長官および諜報部長官のハイドリヒにとっては上司にあたる存在です。親衛隊国家ドイツにおいて、2人の政治警察権力はドイツ全土におよんでいました。


ハイドリヒは1931年、ナチスの情報将校募集の面接にてヒムラーと出会い、能力・外見ともにヒムラーに気に入られたことで、即決採用されています。その後2人はヒトラーの手足として重要な役割を果たすようになり、ポーランド侵攻の際にも海戦の開戦を作るため偽装工作を命じられています。


ヒムラーはハイドリヒのことを、その優れた諜報能力を指し「生きた索引カード」と非常に高く評価していました。一方でハイドリヒはヒムラーを超えて内相の座につく野心を燃やしていたともいわれています。