ハプスブルク家最後のスペイン王カルロス2世。何重もの近親婚の影響で、極度の下顎前突症の他、様々な身体障碍を患っていた。
スペイン・ハプスブルク朝の成立がいい例ですが、良家の娘と結婚し、国ごと乗っ取ることで勢力を拡大してきたのがハプスブルク家です。しかしそんなことを繰り返しているうちに、「ヨーロッパの王族のほとんどが身内」なんて状態になりました。
当時は後述する「近親婚による遺伝的悪影響」など知る由もないですから、ハプスブルク家は血筋を維持し、権力を身内に集中させるため、あえて近親婚を繰り返すようになったのです。
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今では広く知られていることですが、近親婚を繰り返すと、特定の外形的特徴や体質が濃く反映されて、日常に支障をきたすほどの障害や奇形をもって生まれてくることがあります。
ハプスブルク家が代々病弱だったことは当時
「ハプスブルク家の呪い」
なんて言われていましたが、近年の研究では呪いなどではなく、近親婚を繰り返したことによる遺伝性疾患だとわかってきています。
カルロス2世(在位:1665年〜1700年)は近親婚による悪影響、つまり遺伝性疾患が現れた典型とされ、彼は4歳になってようやく話せるようになり、8歳になりようやく歩けるようになったと記録されています。
「ハプスブルク家の顎」もより濃く受け継ぎ、下顎前突症で咀嚼がうまくできず、常によだれが垂れ流し。晩年は起き上がることもできず、幻覚を見たり痙攣を起こしたりと、心神喪失でまともな日常を送ることすらできず、38歳と若くして亡くなりました。
スペイン継承戦争の海戦の一つビーゴ湾の海戦。スペイン継承戦争は、スペイン・ハプスブルク家の断絶をきっかけに始まった。
彼は性的不能だったともいわれ、子孫を残せなかったので、その死をもってスペイン・ハプスブルク朝は断絶。王位はブルボン家が次ぐこととなりましたが、この王位継承をめぐり各国の利害が衝突し、スペイン継承戦争(1701〜1714年)が勃発しているのです。
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