ペタンの基本情報
全名:アンリ・フィリップ・ベノニ・オメル・ジョゼフ・ペタン
異名:「ヴェルダンの勝利者」
誕生:1856年にて
死没:1951年にて
地位:首相
政策・実績:第一次世界大戦におけるヴェルダン防衛、ナチス・ドイツとの休戦(傀儡化)
ペタン(1856年 - 1951年)はフランスの政治家で、ナチス傀儡ともいわれるヴィシー政権において首相をつとめた人物として知られます。今でこそナチス・ドイツへの協力者(コラボラトゥール)として批判も多い人物ですが、もとは第一次世界大戦におけるヴェルダン防衛で名声を高め、「ヴェルダンの勝利者」と称えられる国民的英雄でした。
彼自身はあくまで愛国者であり、1940年パリ陥落後、ヴィシー政権の首相となり、ナチスに「屈服」してしまったのも、言い換えれば「休戦」によりパリの破壊を防いだという好意的な見方もあります。しかし圧力によりドイツ軍への協力を余儀なくされたペタンは、一貫してナチスの傀儡として利用されたため、戦後反逆罪で裁かれ、死刑宣告を受けているのです。(高齢を理由に終身刑に減刑)
フランス北部のパ=ド=カレー県に生まれる。
ナポレオン1世により設立された名門校サン・シール陸軍士官学校を卒業する。
1907年まで陸軍士官学校・陸軍大学にて歩兵学の講義を行う。
ペタンが58歳の時第一次世界大戦が勃発。ヴェルダンの戦い(1916年)での活躍で「ヴェルダンの英雄」という名声を手にした。
第一次世界大戦の戦功により異例のスピードで出世を遂げていき、戦争勃発直前は大佐であったものの、戦争が終わる頃には元帥にまで昇進した。
第二次世界大戦においてドイツから侵攻を受け、敗北を続ける中、レノー内閣副首相として対独講和を主張した。そして同年中にレノー内閣が倒れ、後任となったペタンはドイツに降伏を申し入れ、独仏休戦協定が結ばれた。同時にペタンを国家主席としたヴィシー政権が樹立した。
ドゴール率いる自由フランスおよび連合軍が北フランスに上陸し、ドイツ勢力を一掃。ヴィシー政権は崩壊した。
戦争犯罪に協力した罪で裁判にかけられ、最初は死刑宣告を受けるも、ド・ゴールにより高齢を理由に減刑され、無期禁固刑が言い渡された。
流刑地であるヴァンデ県沖合のユー島で死去。享年95歳。
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