モンペリエの給水塔
モンペリエ(Montpellier)は、フランス南部に位置するエロー県の県都です。商工業、果樹栽培(サクランボ・ブドウ・リンゴ・モモなど)がさかんに行われる他、ワインやリキュールの集散地にもなっています。フランス最古の植物園や美術館、歴史建造物など見どころが多いこともあり、観光業も盛況です。
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モンペリエの語源については、はっきりとはわかっていませんが、有力な1説には中世ラテン語のmonspetrosusに由来するというものがあり、monsは山、petrosusは藍色染料の原料パステルを指しています。
モンペリエは8世紀頃、オリエントとの交易拠点として築かれた街に起源をもち、早くから医学や法律の教育施設がつくられたことで、ラングドック地方の学問の中心になっていきました。
13世紀のアラゴン王国による支配を経て、14世紀半ばにフランス王国に併合されると、資本家ジャック・クール(1395年〜1456年)の財政支援のもと、貿易拠点として繁栄するようになりました。
16〜17世紀にかけて、宗教改革に端を発するカトリックとプロテスタント(ユグノー)の対立が激化。いわゆるユグノー戦争の勃発で社会的混乱で低迷期に入りますが、ルイ13世(在位:1610年〜1643年)の時代に、“プロテスタントの衰退”という形で、長年の宗教対立が終わり、再び栄えるようになります。
18世紀末のフランス革命までは平和の時代が続き、水道橋や凱旋門、公共広場などインフラが整備されていきました。第二次世界大戦ではアメリカ軍の空爆を受け、多くの建造物が破壊されるなど少なくない被害を受けましたが、戦後は復興を果たし現在に至ります。
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