戦間期のオーストリア情勢を理解しよう

アンシュルス後、ヒトラーとムッソリーニにより行われたウィーン市内のパレード

 

オーストリアは、第一次世界大戦におけるオーストリア=ハンガリー帝国の敗北と崩壊、オーストリア革命にともなう暫定憲法成立にともない、1918年に成立した国家です。オーストリアはその後、戦間期を通じて大きな政治的・経済的変動に直面しました。

 

 

戦間期初期の混乱と経済危機

第一次世界大戦の終結とともに、オーストリア=ハンガリー帝国は崩壊し、オーストリアは共和国として再出発しました。しかし、戦後の経済は荒廃し、インフレーションや失業率の急上昇など、深刻な経済問題が発生しました。これにより、社会の不安定化が進行し、政治的な対立も激化しました。

 

ドイツとの合併問題

オーストリアはドイツ民族で構成されるため、ドイツとの合併を望んでいましたが、ドイツの強大化を恐れたフランスなどの反対によってそれは禁止されました。しかし1929年世界恐慌の波がオーストリアにも到来し、失業と倒産が相次いだことで、社会不安を温床にナチスが勢力を拡大してしまいます。

 

政治的不安定とナチスの台頭

1920年代から1930年代にかけて、オーストリアの政治情勢は極めて不安定でした。社会民主党と保守勢力の間で激しい対立が続き、1934年には右翼勢力がクーデターを試み、内戦が勃発しました。この内戦により、保守派が政権を掌握し、オーストリア第一共和国は独裁的な政権に移行しました。

 

オーストリアでもナチスが政権を獲得

そして1938年には大ドイツ主義を目指すヒトラーの後援を得て、オーストリアでもナチスが政権を獲得し、ドイツとの合併(アンシュルス)を実現させたのです。ヒトラーおよびドイツ軍がオーストリア入りした際、オーストリア市民は進軍が滞るほどの熱狂的な歓迎を行い、翌年にはイタリアムッソリーニと共同でウィーン市内でパレードを行っています。

 

アンシュルス後のオーストリア

アンシュルスにより、オーストリアはナチス・ドイツの一部となり、その後の戦争準備と戦争遂行に巻き込まれることになりました。ナチス政権下で、オーストリアは戦争経済の一環として再軍備と軍需産業の拡大が進められました。また、多くのユダヤ人や政治的反対者が迫害され、強制収容所に送られました。

 

戦間期のオーストリアは、第一次世界大戦後の経済混乱と政治的不安定の中で、ナチス・ドイツとの合併を経て第二次世界大戦へと突き進む過程を辿りました。これにより、オーストリアは戦後に大きな変革を迎え、国際社会における立場も大きく変わることとなりました。この時期のオーストリアの歴史は、現代における国際関係や国内政治の理解において重要な教訓を提供しています。