
中央赤印がアルテミシオンの海戦が行われた場所
アルテミシオンの海戦は、紀元前480年、エウボイア島北端部のアルテミシオン沖で起こった、ペルシア戦争中の戦闘の一つです。アテナイを中心とするギリシア海軍とアケメネス朝ペルシア遠征軍の艦隊が衝突しました。この戦闘は、戦略的な位置への移動と将来の大海戦への舞台を整えるための一幕ともなりました。
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エウボイア島
海戦は現ギリシャ領のエウボイア島沖で起こりました。エウボイア島はギリシャの中部に位置し、アテネの北東約60キロメートルのエーゲ海に浮かぶ長さ約180キロメートル、幅は最大で50キロメートルに及ぶ細長い島です。島は主に山がちで、特に中央部にはディルフィス山脈が連なっています。この山脈は島の景観を支配し、様々な野生生物の生息地となっています。
北部と南部を結ぶ交通の要所として、エヴリポス海峡があり、ここは非常に狭く、アテネとテッサロニキを結ぶ重要な海路の一部となっています。古くから潮流が非常に速く、航海上の難所として知られていました。
そんなエウボイア島の経済は農業、漁業、観光が主で、オリーブやぶどうの栽培が盛んです。また、美しい海岸線と豊かな自然は、観光客を引きつける要素となっており、夏場は多くの観光客で賑わいます。
紀元前480年のアルテミシオンの海戦は、ペルシャ戦争中の一大事で、ギリシャ諸都市とペルシャ帝国の間の衝突が背景にあります。原因は、ペルシャ帝国がギリシャを完全に支配下に置こうとしたことに端を発しています。これに対し、ギリシャの諸都市が独立を守るために連合を組み、抵抗の構えを見せたわけですね。
そしてこの海戦の舞台となったのは、上述した通りエウボイア島の近海、アルテミシオン岬です。海戦は、陸戦のテルモピュライの戦いとほぼ同時に行われました。ペルシャ軍がテルモピュライでスパルタ王レオニダス率いるギリシャ軍を攻める一方で、海ではギリシャ連合艦隊がペルシャの大艦隊に対抗していたんですね。
両軍の兵力差はギリシア艦333隻、ペルシア艦2600隻と、2000隻以上の開きがありましたが、ギリシア側は巧みな戦術により善戦。
ギリシア側の戦術は、密集した戦列を保つことで数の上で劣る自軍の脆弱さをカバーし、一方でペルシア艦隊が自由に動き回ることを防ぐというものでした。これにより、ペルシア側の大部分の艦船が戦闘に参加することができず、同時に彼らの行動を制限しました。
しかし消耗も激しく、テルモピュレでペルシア陸軍にスパルタ軍が全滅させられたという報を聞き、サラミス島に撤退。戦いはペルシア戦争最大の決戦となるサラミスの海戦へと持ち越されました。
サラミスの海戦では、アテナイとその同盟都市国家は、ペルシア海軍に対する決定的な勝利を収めることとなります。アルテミシオンの海戦がギリシャ艦隊に与えた教訓と経験は、この後のサラミスの海戦での勝利に結びついたと言えるでしょう。
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