
アポロ・エピクリウス神殿の柱頭(バッサイ)
アポロ・エピクリウス神殿のディテール写真。神殿の構造や装飾を伝え、アポロ・エピクリウス神殿の本質を示す
出典:User:AlMare(著作権者推定) /creative commons Public Domain(画像利用ライセンス)より
アポロ・エピクリウス神殿って、パルテノン神殿やデルフォイのアポロン神殿に比べると知名度は低いですが、実は古代ギリシア建築史の中でかなり“特別扱い”されている存在なんです。場所はペロポネソス半島の山奥、バッサイという静かな村にあって、海沿いの都市神殿とはまったく違う雰囲気をまとっています。しかも、この神殿はドーリア式・イオニア式・コリント式という三大建築様式が一つの建物に全部使われているという、かなり珍しい例なんですよ。今回は、このアポロ・エピクリウス神殿を「場所・環境地理」「特徴・建築様式」「建築期間・歴史」の3つの視点からじっくり見ていきます。
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この神殿は、標高およそ1,130mの高地にあるバッサイの丘に建っています。海辺の神殿と違い、山岳信仰と結びついた独特のロケーションです。
ペロポネソス半島のアルカディア地方にあり、周囲は険しい山々と深い谷に囲まれています。古代の巡礼者にとっては簡単に行ける場所ではなく、特別な意味を持つ聖地でした。
山の中腹にあるため、四季ごとに表情が変わる景観と、澄んだ空気が特徴。静謐な環境が、神殿の神秘性をより際立たせています。
「エピクリウス」は「助ける者」という意味で、疫病から人々を救ったことに感謝してアポロンに捧げられたと伝えられています。
この神殿は、古代ギリシアの建築様式が融合した“ハイブリッド”な造りで有名です。
外周は力強いドーリア式の列柱、内部には優美なイオニア式の柱、そして最奥部(アディトン)には現存最古のコリント式の柱が使われています。三様式が同居するのは非常に珍しいことです。
東西に出入口を設け、さらに内部に南北方向の通路を持つ変則的なプランを採用。これは信仰儀礼や採光のためだったと考えられています。
屋根や一部の構造は失われたものの、多くの列柱と基礎部分が残っており、全体の規模や構造を十分に想像できます。
アポロ・エピクリウス神殿は、ペロポネソス戦争のさなかという厳しい時代に建てられた、数少ない大規模建築プロジェクトのひとつです。そのため、当時の人々にとっては単なる神殿以上の特別な意味を持っていました。
建設が始まったのは紀元前450年ごろ。設計を担当したのは、あのパルテノン神殿を手掛けたことで知られるイクティノス(紀元前5世紀)と伝えられています。彼はドーリア式・イオニア式・コリント式といった異なる建築様式を組み合わせ、当時としては非常に先進的な設計を取り入れました。山岳地帯という立地を活かし、自然光を巧みに利用する構造も大きな特徴です。
この神殿が建てられた背景には、疫病の流行から地域を救ったとされるアポロン信仰があります。人々は「助けてくれた神」への感謝を込め、アポロンを守護神として特別に祀る神殿を築き上げました。戦争や疫病に揺れる時代だからこそ、この神殿は心の拠り所でもあったのです。
ローマ時代以降、巡礼者は徐々に減少し、神殿は荒廃の道をたどります。それでも完全には忘れ去られず、19世紀に入って発掘調査が行われました。現在はユネスコ世界遺産として登録され、風雨や気温差から守るために巨大な保護テントで覆われています。その姿は少し不思議ですが、これも未来へと遺すための大切な工夫なのです。
このようにアポロ・エピクリウス神殿は、標高の高い山岳地帯に建てられた特異な神殿であり、三大建築様式を融合させた希少な遺構なのです。宗教的背景には疫病からの救済という人々の切実な祈りが込められており、単なる美的建築ではなく、古代人の精神と歴史が刻まれた場所といえるでしょう。今も静かな山中で列柱が立ち並ぶ姿は、訪れる人に2000年以上前の信仰の空気をそのまま伝えてくれるのです。
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