15世紀初頭、ポルトガル王により、北西アフリカにおける海上交通・軍事上の要衝セウタが攻略されました。これを皮切りにポルトガル人はアフリカ西海岸の南進を進め、1487年、バルトロメウ・ディアスがアフリカ最南端の喜望峰を発見。続いてバスコ・ダ・ガマが喜望峰を回航してインド航路を発見し、大航海時代の幕開けとなったのです。
ここまではまだ、アフリカは、海外進出の為の中継地として重視されていたにすぎませんでした。
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しかし、15世紀末、クリストファー・コロンブスによりアメリカ大陸が「発見」されてから、アフリカに「別の価値」が見出されるようになります。植民地で大規模な鉱山開発やプランテーションが始まったことで、安価な労働力が手に入る、奴隷供給市場として、アフリカが重視されるようになるのです。
アフリカにて奴隷狩りが大々的に行われるようになり、ヨーロッパ(織物)→アフリカ(黒人奴隷)→新大陸(銀)という三角貿易が開始されましたが、三角貿易で生まれた富はヨーロッパが独占し、アフリカにもたらされることはありませんでした。
奴隷貿易は、アフリカ社会に多大な影響を及ぼしました。多くの若者が強制的に連れ去られ、社会の生産力が低下しました。また、奴隷狩りはアフリカ内部の紛争を激化させ、部族間の対立を深めました。この結果、アフリカの多くの地域では、社会構造が崩壊し、長期的な発展が妨げられることとなりました。
奴隷貿易によって、アフリカの文化や社会は深刻な影響を受けました。多くの村や都市が破壊され、人々は家族やコミュニティから引き離されました。これにより、伝統的な文化や知識が失われ、多くの地域で文化的な断絶が生じました。アフリカの社会は、この時期に多くの貴重な資源と人材を失い、その後の復興に長い時間を要しました。
奴隷貿易の影響で、ヨーロッパの影響力がアフリカ全土に広がりました。ヨーロッパ諸国は、アフリカの沿岸部に交易拠点を設け、内陸部への進出を図りました。これに対し、アフリカの多くの地域では、ヨーロッパ勢力に対する抵抗運動が起こりましたが、その多くは武力で鎮圧されました。
当時のヨーロッパ人がアフリカを掠奪の対象としか見ていなかったことは、現代になっても様々な問題として尾を引いています。奴隷貿易と植民地支配による歴史的な傷跡は、現代のアフリカの社会や経済に深く根付いており、未だにその影響が続いています。
奴隷貿易とその後の植民地支配は、現代のアフリカにも大きな影響を及ぼしています。経済的な搾取と資源の流出は、現在でも多くのアフリカ諸国の発展を妨げています。また、奴隷貿易の歴史は、アフリカ系住民が世界各地で直面する人種差別や社会的不平等の背景にもなっています。
大航海時代は、アフリカにとって破壊的な影響をもたらしました。奴隷貿易とその後の植民地支配によって、アフリカの社会、経済、文化は大きく変容し、その影響は現代に至るまで続いています。アフリカの歴史とその復興の過程を理解することは、現代社会における国際関係や人権問題を考える上で重要な視点となります。
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