ナポレオンの百日天下とは

百日天下というのは、1815年3月20日から6月22日まで、およそ100日という短期間で終わった、ナポレオン1世最後のフランス統治のことです。「百日天下で終わる」といったように、ごくごく短期間の政権に対する例えとして使われる言葉でもあります。

 

 

百日天下の背景

ナポレオン戦争で敗れたナポレオンは帝位を廃され、1814年エルバ島に追放されました。同年フランスではナポレオンに代わり、ルイ18世が国王として即位し、王政復古を遂げましたが、彼の保守反動的な治世は国民に不評でした。一方オーストリア・ウィーンでは、ナポレオン戦争で混乱したヨーロッパの戦後秩序を決めるべくウィーン会議が開催中でしたが、各国それぞれ権利を主張し譲歩せず、議論が紛糾したため、話は一向にまとまりませんでした。

 

百日天下の開始

ナポレオンの復活

ナポレオンはルイ18世の不人気ぶりや、ヨーロッパ各国がまとまらず揉めている状況を見て、1815年ひそかにエルバ島を脱出。パリに帰還し、ルイ18世の統治に不満を抱く、かつての部下や農民層の支持を受け、皇帝として返り咲いたのです。新憲法を起草し、二院制の議会を設立。本格的に帝国再建を開始したのです。

 

ナポレオン再失脚

ナポレオン復活の動きを受け、ウィーン会議でもめていた各国はそれぞれ妥協し、ウィーン議定書を締結。ひとまずナポレオン打倒という目的でまとまり、20万兵力からなる第七次対仏大同盟軍を組織しました。両者はベルギーのワーテルローで相対しましたが、結果は対仏大同盟軍の勝利(ワーテルローの戦い)。これで今度こそナポレオンの野望は打ち砕かれ、退位に追い込まれたナポレオンはセント・ヘレナ島に流され、死ぬまで隠遁生活を送ることになりました。

 
ページの先頭へ戻る