イタリアからみた第一次世界大戦

第一次世界大戦は、1914年6月から1918年11月までの4年余りにわたって続いた世界的規模の戦争です。三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア・ブルガリア等)と三国協商(イギリス・フランス・ロシア・日本等)ら、帝国主義列強の対立から起こり、ヨーロッパを舞台としたことから「欧州大戦(War in Europe)」とも呼ばれます。オーストリアにおけるサラエボ事件が引き金となり、当事国が次々軍事同盟を拡大させていった結果、世界中を巻き込んだ史上最大規模の戦争に発展してしまったのです。

 

 

参戦〜終戦までの流れ

イタリアは当初、オーストリア、ドイツの三国同盟側に与していました。しかし領土問題からオーストリアとの関係は良好とはいえず、オーストリアを支援するドイツとも同様でした。そのため三国同盟の一国ではあったものの、直接オーストリア、ドイツを支援することはしなかったのです。

 

三国同盟を破棄!

イギリス・フランス・ロシアら協商国は、イタリア・オーストリア間の領土問題に目を付け、イタリアと「ロンドン秘密条約」を結びます。戦後、「未回収のイタリア」の一部を割譲することと引き替えに、イタリアに参戦を要求したのです。イタリアはこれに乗り、1915年5月に三国同盟を破棄し、オーストリアに宣戦布告し、三国協商側として第一次世界大戦に参戦しました。

 

「未回収のイタリア」って何?

1861年のイタリア統一後も、オーストリア支配下に留まっていたイタリア文化圏のこと。南チロル地方、トレンティーノ地方、トリエステ、イストリア地方、ダルマチア地方などがそれにあたる。

 

「未回収のイタリア」の併合

1915年から1918年にかけて、主に両国国境の東部アルプスを舞台に行なわれた、イタリアとオーストリアによる一連の戦闘をイタリア戦線といいます。協商国の支援を受けたイタリアは、この戦線に打ち勝ち、戦後開催のパリ講和会議で「未回収のイタリア」を自国領土に併合することができました。

 

戦後の影響

イタリアの第一次世界大戦への参戦は、総力戦となったため、国内経済に大きな負担となり、戦後は深刻な不況に見舞われました。国には失業者が溢れ、労働者の不満からストライキや暴動が発生。国民は戦勝国とは思えぬ、悲惨な現状を「名誉なき戦勝国」と自嘲しました。

 

このような社会不安の増長は、のちのファシスト政権誕生の原因となり、ナチス・ドイツへの接近、そして第二次世界大戦への参戦へと繋がっていったのです。

 

 
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