



世界恐慌を受け、預金を引き出そうとアメリカ連合銀行前に大挙する群衆
1929年に始まった世界恐慌は、各国の経済を一気に冷え込ませ、失業や倒産があふれる深刻な事態を招きました。
ところが、同じ時代を生きていたソビエト連邦(ソ連)は、この世界的な経済危機から、比較的影響を受けなかったとされています。ここ、ちょっと不思議に感じますよね。
資本主義経済が大きく揺らぐ中で、ソ連だけが別の動きをしていた──その点が、まず大きなポイントです。
ソ連は当時、市場経済とは異なる仕組みで国を動かしており、世界経済との距離感そのものが、他国とはまったく違っていました。
もちろん、「まったく無傷だった」というわけではありません。
ただ、恐慌の直撃を受けた国々と比べると、影響の現れ方が大きく異なっていたのは確かです。 なぜソ連は世界恐慌の荒波を、ある程度やり過ごすことができたのか。その理由は、一つではありません。
この章では、ソ連が世界恐慌で比較的影響を受けなかった背景や要因、そして当時の国際経済との関わり方について、順を追って解説していきます。
「世界と切り離されていた経済」とは、いったいどんなものだったのか──そこを一緒に見ていきましょう。
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ソ連が世界恐慌の影響を比較的受けにくかった理由として、まず押さえておきたいのが、経済の仕組みそのものが他国とまったく違っていた点です。
当時のソ連は社会主義国家として、市場経済とは異なる独自の経済システムを採用していました。この違いが、世界恐慌の局面で大きな意味を持つことになります。
ソ連では、国家が生産量や投資先を細かく決める計画経済が徹底されていました。
何をどれだけ作るか、どこに資源を回すか──それを市場の動きではなく、国家の計画で決めていたのです。
世界市場の景気変動が、そのまま国内経済に波及しにくい構造だった、というのが大きなポイント。
株価の暴落や金融不安といった出来事が、直接的な打撃になりにくかったわけですね。
もうひとつ重要なのが、国際貿易への依存度の低さです。
ソ連は、資源や工業製品をできるだけ自国内でまかなう体制を築いており、他国との貿易に強く頼っていませんでした。
世界経済と距離を置いた状態だったからこそ、国際市場が混乱しても、その影響は限定的。
資本主義国が連鎖的に不況へ落ち込む中で、ソ連だけが異なる動きを見せた背景には、こうした経済構造の違いがあったのです。
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世界恐慌のさなか、ソ連は守りに入るのではなく、むしろ国内の産業化と近代化を一気に進めていきました。
この積極的な内向き政策が、結果として経済の安定につながっていきます。
1920年代から1930年代にかけて、ソ連は重工業を中心とした大規模な産業化政策を推進しました。
鉄鋼、機械、エネルギー産業など、国の基盤となる分野に資源を集中投下。国家主導で工場やインフラが次々と整備されていきます。
外の景気に左右されない経済を、内側から作り上げていった──ここが重要なポイント。
世界が不況で足踏みする中でも、ソ連国内では生産活動そのものが拡大していったのです。
もう一つの柱が、農業の集団化政策です。
個々の農家をまとめ、国家管理のもとで生産を行うことで、農業の効率化を図りました。
この政策には大きな負担や混乱も伴いましたが、結果として食料生産量を安定させ、都市への供給を維持する役割を果たします。
食料が確保されているという安心感は、国内経済を支えるうえで非常に大きな意味を持っていました。
こうしてソ連は、産業と農業の両面から国内経済を押し上げ、世界恐慌の影響を受けにくい体制を固めていったのです。
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ソ連が世界恐慌の影響を比較的受けずにすんだ背景は、経済政策だけでは説明しきれません。
当時の国際政治の立ち位置も、非常に大きな意味を持っていました。
この時期のソ連は、資本主義国とは明確に異なる道を選び、世界の中で独特の存在感を放っていたのです。
世界恐慌によって資本主義国が深刻な打撃を受ける中、ソ連は自らを社会主義陣営の中心的存在として位置づけていきました。
資本主義とは異なる体制を掲げ、その有効性を示そうとしたわけですね。
世界的な不況は、ソ連にとって体制の違いを際立たせる機会でもあった。
この意識は、国内の結束や政策の推進力にもつながっていきます。
一方で、ソ連は国際社会から孤立した存在でもありました。
西側諸国との経済的・政治的な結びつきは弱く、世界市場との距離は自然と広がっていきます。
しかしこの孤立は、世界恐慌という状況下では結果的に有利に働きました。 国際市場の混乱に巻き込まれにくかったことで、国内経済を比較的安定した状態に保つことができたのです。
こうして見ると、ソ連が世界恐慌を乗り切れた理由は、経済制度だけでなく、「国際政治の中で選んだ立ち位置そのもの」にあったことがわかります。
世界と距離を取るという選択が、この時代には大きな意味を持っていたのですね。
まとめると、ソ連が世界恐慌の影響を比較的受けずにすんだ背景には、独自の経済システム、国内政策による経済運営、そして国際政治における特異な立ち位置がありました。
市場の動きに左右されにくい体制を取り、国内に目を向けた政策を進め、世界経済とは一定の距離を保っていた──これらが重なった結果だったわけです。
世界経済が同時に揺れた中で、あえて「別の仕組み」で動いていたこと。
それが、ソ連が大きな混乱に巻き込まれにくかった最大の理由でした。
どの経済システムが万能か、という話ではありません。
ただ、この事例から見えてくるのは、経済の仕組みや国際社会との関わり方によって、外からの危機の受け止め方は大きく変わる、という事実です。
世界恐慌という極端な状況の中で示されたソ連の対応は、
異なる経済体制が、外部のショックにどう向き合うのかを考えるうえで、今なお示唆に富んだケースだと言えるでしょう。
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