ソ連は成立間もなく、「五か年計画」と呼ばれる計画経済をスタートさせました。計画経済とは何をどのようにどのくらい生産するのか国家が計画し、その計画にもとづき経済活動を行うというもの。
そしてソ連が5年間で達成することを目指して作った計画を「五か年計画」といい、成立から崩壊にいたるまで第1次〜第11次が実行されました。
とくに第一次で行われた重工業化と農業集団化は社会主義国家建設の土台となったことから重要です。
世界恐慌を受け、預金を引き出そうとアメリカ連合銀行前に大挙する群衆
1930年代に世界恐慌の嵐が吹き荒れ、資本主義国が不況に苦しんでいる時でも、ソ連がその影響を受けずに済んだのは、土地や工場を国有化し、生産・流通・分配あらゆる経済活動を中央政府が管理していたためです。
無論、計画経済には自由競争がない=経済活動の革新も起こらないという相当大きなデメリットもあるからこそ、冷戦末期には停滞し、ソ連崩壊に繋がるわけです。
しかし世界恐慌で資本主義国が大混乱に陥る中、一人勝ちのように社会主義の優位性を「証明」し、中央政府が独裁的な権力を握ってしまったため、ソ連は言論の自由のない閉ざされた国となってしまったのです。
1929年に始まった世界恐慌は、多くの国々の経済に壊滅的な影響を及ぼしました。しかし、当時のソビエト連邦(ソ連)はこの世界的な経済危機から比較的影響を受けず、その理由は複雑で多岐にわたります。ソ連が世界恐慌で影響を受けなかった背景とその要因、またその時期の国際経済との関係について、以下で詳しく解説します。
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ソ連は社会主義国家であり、独自の経済システムを有していました。このシステムは、世界恐慌の際における他国との経済的な差異を生み出した主要な要因の一つです。
ソ連では国家による厳格な計画経済が採用されていました。このため、世界市場の変動が直接的に国内経済に影響を与えることは少なかったのです。
ソ連は他国との貿易に頼らず、自国内で資源や商品の生産を行っていました。これにより、国際市場の不安定性から比較的影響を受けにくい経済構造を有していました。
ソ連は世界恐慌の時期に、国内の産業化と近代化を積極的に推進しました。これが経済の安定化に寄与した要因となります。
1920年代から1930年代にかけて、ソ連は重工業や農業の近代化を強力に推し進めました。これにより、国内経済は大幅に発展しました。
農業の集団化もまた重要な政策であり、農業生産の効率化を図りました。これにより食糧生産が増加し、国内市場が安定しました。
ソ連の世界恐慌への対応は、国際政治の文脈においても理解されるべきです。この時期のソ連は、他の資本主義国家とは異なる道を歩んでいました。
世界恐慌の中でソ連は、資本主義国家に対抗する社会主義陣営のリーダーとしての地位を確立しました。この立場は、国内政策においても重要な役割を果たしました。
同時に、ソ連は国際社会からの孤立を深めていました。これにより、世界市場の変動から距離を置くことができ、国内経済を安定させることに成功しました。
ソ連が世界恐慌の影響を受けなかった理由は、その独自の経済システム、国内政策の成功、そして国際政治における独自の立場にありました。これらの要因は、ソ連が世界経済の危機から比較的無傷であった理由を説明しています。この歴史的事例は、異なる経済システムがどのようにして外部の経済危機に対応するかを理解する上で重要な参考となります。
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