アイヒマンとは何をした人?〜ホロコースト政策を主導〜

アイヒマン

 

アイヒマンの基本情報

 

氏名:アドルフ・オットー・アイヒマン
誕生:1906年
死没:1962年
判決:絞首刑
官職:親衛隊中佐
実行政策:最終的解決に関与、ホロコースト政策を主導

 

アイヒマン(1906年 - 1962年)はナチス(第三帝国)の親衛隊将校で、ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の実行者の一人です。1932年オーストリア・ナチスに入党し、1942年ワンゼー会議で最終的解決に関与、保安本部秘密国家警察局におけるホロコースト政策責任者に任命されました。

 

ナチスドイツの降伏後は、アメリカ軍に逮捕されるも、正体は偽名で隠し、捕虜収容所から脱出することに成功しています。その後は難民を装って西ドイツ、イタリアなどで逃亡生活を送った末、1950年南米アルゼンチンに亡命。

 

家族も呼び寄せ、しばらくは平穏に亡命生活を送っていましたが、やがて西ドイツ経由でアイヒマンがアルゼンチンに潜伏しているとの情報がイスラエルに漏れ、1960年イスラエルの特務機関により逮捕。翌年エルサレムの裁判で絞首刑の判決を受け、1962年刑が執行されました。なおアイヒマンは「命令に従っただけ」と最期まで無罪を主張していました。

 

アイヒマンとヒトラーの関係

アイヒマンはヒトラー政権下の重要人物ではありますが、ヒトラー本人との直接的な関係は薄かったようです。調べてもせいぜいがアイヒマンもヒトラーもカイザー・フランツ・ヨーゼフ国立実科学校に通ったものの、共に成績が悪く、卒業できぬまま退学した・・・ということくらいしか情報が出てきませんでした。

 

逮捕後、自身が推し進めたユダヤ人迫害(ホロコースト)については、「命令に従っただけ」としており、ヒトラー本人への人望や忠誠心は否定しています。ヒトラーの『我が闘争』も読んだことはないそうです。