フランス第四共和政の特徴

第四共和政最初の大統領ヴァンサン・オリオール

 

第四共和政とは、1946年10月から1958年10月まで続いたフランスの政治体制です。ナチス・ドイツによる第三共和政の崩壊から、連合軍によるパリ解放を経て成立しましたが、「第一次インドシナ戦争」、「アルジェリア戦争」、「第二次中東戦争」などの植民地問題から派生した戦争にうまく対応できず、それに不満を抱いた植民地駐留軍および植民者の反乱により12年ほどで崩壊しました。

 

 

 

第四共和政の成立

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの占領によりフランス第三共和政は崩壊に追い込まれ、フランスはナチス傀儡とされるヴィシー政権が支配されるようになりました。そんな中、抗独を訴えていたレジスタンスのリーダーシャルル・ドゴールの先導で、1944年6月3日にフランス共和国臨時政府が組織されます。これをもって第四共和制誕生とする見方もありますが、正式な発足は、戦後の1946年10月13日に国民投票で新しい憲法草案が承認されてからとなります。

 

第四共和政の崩壊

第四共和国憲法は第三共和国憲法とほぼ変わらない内容でしたが、大統領より国民議会(下院)に大きな権限が与えられたため、短命内閣が続き、政局は不安定でした。そんな中、戦後のナショナリズムの高まりから、インドシナ、アルジェリアなどのフランス植民地で独立運動が活性化。政府は対応に迫られましたが、政局の混乱で政策は一向に前に進みませんでした。

 

第五共和制の成立

そんな中政府への不満がピークに達し、1958年、アルジェリアの植民者(コロン)と駐留軍によるクーデター( 5月13日事件)が発生します。決起部隊はコルシカ島を占領したのち、果てはフランス本土への侵攻計画まで企めており、このままいけば内乱に発展しかねない状況でした。

 

この事態を受け、時のコティ大統領は、決起部隊の求め応じ、隠居していたド・ゴールを政界に復帰させます。そしてド・ゴールは大統領に強力な権限を付与する新憲法を提案し、1958年年9月に国民投票で承認。これをもって第五共和制が成立し、第四共和政は終焉を迎えたのです。