ヨーロッパのアジア進出は15世紀より始まりました。まずポルトガルが喜望峰回りのヨーロッパ〜インド航路を発見し、ヨーロッパとアジアを結ぶ「香辛料利権」が確立されてからというもの、インドおよび東南アジアはヨーロッパ列強の争奪の的となったのです。
ヨーロッパ〜アジア間交易の歴史は長い
アジアとの交易自体は、ヨーロッパ〜インド航路が確立される前からも、東地中海経由で行われていました。しかし15世紀半ばにオスマン帝国が東地中海の制海権握ってからというもの、同国が交易路に高い関税がかけるようになり商売あがったり。そこで、その損失を補う血路として大西洋航路の開拓が始まり、ヨーロッパ〜インド航路の発見へと繋がったのです。
産業革命以降(18世紀後半〜)は、自国産の工業製品を売ったり、安価な原料や労働力が手に入る市場として、アジアが改めて重要視されるようになり、その支配圏は東南アジアを飛び越え大陸(中国)にまでおよぶようになりました。
アヘン戦争においてイギリス軍艦の砲撃を受ける清国軍艦。この戦争は、アジアの覇権国たる中国(清)が、ヨーロッパ列強に植民地化されていく起点となった。
|
|
|
|