神聖ローマ帝国解体後、同帝国を構成していた複数の主権国家の連合体ドイツ連邦が成立(1815年)し、この時点ではまだオーストリアがドイツの中心でした。しかし1834年に北ドイツにてプロイセン主導の関税同盟が成立したことで潮目が変わります。
プロイセンの国旗
ドイツ人は北ドイツの経済的統一が進むのをみてナショナリズムを刺激され、1848年には三月革命を起こしウィーン体制を打破しています。これで体制を主導していたオーストリアは没落し、ドイツの中心はプロイセンに移ったのです。
そして当時ドイツは産業革命に遅れを取っていましたから、イギリスやフランスなど列強に対抗するため「ドイツ統一」を求める声が高まり、その声を受け止めたのがプロイセンのビスマルクだったのです。
彼は首相に就任した後、「鉄血政策」と呼ばれる武力による統一を推し進め、オーストリアを盟主とするドイツ連邦を解体、プロイセン主導のドイツ統一を達成した、というわけです。
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