アントニヌス・ピウスとは何をした人?〜「アントニヌス長城」の建設〜

妻の大ファウスティナを祭る「アントニヌス・ファウスティナ神殿」

 

アントニヌス・ピウスの基本情報

 

本名:ティトゥス・フルウィウス・アエリウス・ハドリアヌス・アントニヌス・アウグストゥス・ピウス
肩書:五賢帝
渾名:「慈悲(敬虔とも)Pius」
誕生:86年ラウィニウム
死没:161年ロリウム
在位:138年 - 161年
王朝:ネルウァ=アントニヌス朝
先代:ハドリアヌス
次代:マルクス・アウレリウス
政策:年金制度の整備、属州統治の負担軽減、公費節約、「アントニヌス長城」の建設

 

アントニヌス・ピウスは第15代ローマ皇帝で、4番目の五賢帝です。財政官、法務官時代を経て、120年執政官に就任。小アジア総督としても名声を高め、その実績からハドリアヌス帝の養子となり帝位継承権を獲得しました。即位後の政治姿勢はおおむね穏健で、元老院との関係を重視し、年金制度の整備、属州統治の負担軽減、公費節約などに着手。対外的には先代の路線を継承、国境の安定を重視し、その一環としてイギリスに「アントニヌス長城」を建設するなどしています。当時まだ苛烈を極めたキリスト教迫害も抑制的で、死刑囚に恩赦を与えるなど、慈悲深い人柄であったため、元老院から「慈悲(敬虔とも)Pius」 という称号が与えられました。彼の治世はローマ史上最も平和な時代であったといわれ、その功績から死後は神格化され、各地に記念碑や神殿が建てられています。

 

アントニヌス・ピウスの評価

アントニヌスはネルウァトラヤヌス、ハドリアヌスに次ぐ4番目の五賢帝です。彼の23年の治世は目立った失策もなく非常に安定しており、元老院から「最良の君主(オプティムス・プリンケプス)」の称号を与えられています。

 

ハドリアヌスの政策を受け継ぎ、領土の拡大より維持を重視し、彼の治世では戦争らしい戦争も起こっていません。せいぜいブリタンニア属州の反乱を鎮圧したくらいで、その際にハドリアヌスの長城に続く第二の壁アントニヌスの長城を建設しています。

 

そして彼の添え名である「ピウス」とは「慈悲深い」という意味があり、親孝行であったり、先帝の時の死刑囚を恩赦にしたり、功績はあったものの元老院から憎まれていたハドリアヌスの神格化に尽力したりと、何かと温厚で慈悲深い人物であったことに由来しているのです。