スターリンとは何をした人?〜五か年計画の推進〜

 

スターリンの基本情報

 

本名:ジュガシビリ
誕生:1878年ジョージアにて
死没:1953年モスクワにて
在任:1924年 -1953年
政策:五か年計画の推進/反対派の大粛清

 

スターリン(1878年 - 1953年)はソ連の最高指導者で、建国者レーニンの死後、独裁的な権力を握り、ソ連型社会主義の基礎を確立したことで知られる人物です。スターリンとは「鋼鉄の人」を意味するペンネームで、本名はジュガシビリ。

 

靴屋の子としてジョージアに生まれ、マルクス主義の影響を受けて育ちました。帝政期には過激な革命家として帝国政府よりマークされ、逃亡生活を送るも、1917年ロシア革命の勃発に際し帰国。十月革命後はソビエト政権の党書記長をつとめ、レーニンの後継者としての下地を着々と整えていきました。

 

そして1924年レーニンが死ぬと、政敵を次々と倒して全権力を掌握。最高指導者の地位につき、工業化と農業集団化を柱とした「五か年計画」の推進により社会主義体制の基礎を確立したのです。そしてその中で肥大化した権力により、反対派や批判派の大粛清を行ったことも有名です。

 

スターリンの死因

スターリンは喫煙による動脈硬化を抱えていました。第二次世界大戦終戦前後には脳卒中や心臓発作に見舞われ、この時は助かりましたが、1953年の3月1日に寝室にて脳卒中で倒れ意識不明になった後は、そのまま治療の甲斐なく死亡しています。死後の解剖で、動脈硬化に基づいた左半球の脳出血だと判明しました

 

家政婦は午前4時に寝室に入ったスターリンがいつまでも出てこないことに不審に思いましたが、「呼び出されるまで邪魔をするな」と指示されていたため、午後11時まで放置していました。これで発見が遅れ、治療不可能なほど重篤な状態になったと考えられています。

 

スターリンは死後国葬され、神格化されましたが、フルシチョフのスターリン批判で彼の治世における残虐非道な行いが批判され、権威を失いました。