東ゴート王国の滅亡理由とは?

東ゴート王国がなぜ滅ぼされたのか、その理由を探るためには、6世紀のヨーロッパの歴史に目を向ける必要があります。それは一人の皇帝の野望と、彼が指揮する勇猛な軍人たちの戦闘によって展開されました。ここではその過程と結果を詳しく見ていきましょう。

 

 

ビザンツ帝国の野望

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の皇帝ユスティニアヌス1世は、西方の領土を再征服し、ローマ帝国のかつての栄光を取り戻すことを決意しました。この彼の大望が、東ゴート王国の滅亡への道筋をつけることになります。

 

激戦のゴート戦争

ユスティニアヌス1世の決断により、東ローマ帝国の総司令官ベリサリウスはイタリアへと派遣され、東ゴート王国への攻撃を開始します。激戦の末、540年に東ゴートの首都ラヴェンナを占領し、東ゴートの王ウィティギスを捕らえることに成功します。しかし、これで戦争が終わったわけではありませんでした。

 

抵抗と最終的な滅亡

新たに東ゴート王となったトーティラは抵抗を続け、一時はイタリア半島をほぼ取り戻します。しかし、再度派遣されたベリサリウスの後任であるナルセスは、552年のブスタイオポリスの戦いでトーティラを討ち取り、翌年には最後の抵抗勢力を撃破します。

 

これにより、東ゴート王国はビザンツ帝国によって滅ぼされ、イタリア半島は再びローマの支配下に戻りました。しかし、この戦争はイタリアを荒廃させ、その後のランゴバルド人による侵入を許す遠因となりました。東ゴート王国の滅亡は、ユスティニアヌス1世の野望を体現すると同時に、欧州の歴史を大きく動かす出来事でした。