7世紀、東ローマ帝国の東方で、イスラム教と呼ばれるユダヤ教を母体とする新宗教が誕生します。そしてそのイスラム教を柱とするウマイヤ朝と呼ばれる王朝が誕生し、同王朝は瞬く間に勢力を拡大、アラビア半島を超えて、ササン朝ペルシアを滅亡に追い込み、東ローマから地中海東岸のシリア、地中海南東岸のエジプトなどを奪ってしまうのです。
こうしてアラビア半島を中心に、イスラム教徒により形成された広域国家がいわゆる「イスラム勢力」であり、アラブ帝国もしくはイスラム帝国とも呼ばれます。イスラム勢力は東方から徐々に東ローマの領土を削り取っていき、とりわけ638年に聖地エルサレムがイスラムの手に落ちたことはキリスト教世界に衝撃を与え、のちに聖地奪還を目指す十字軍遠征に繋がっていくのです。
イスラム教の礼拝堂モスク(エルサレム)
イスラム教徒らは自分たちの異教徒に対する戦いをジハード(聖戦)と位置づけ、殉教の信念のもと死を恐れず迫ってくる彼らは、西方キリスト教世界にとってこの上ない脅威となりました。
ローマ教会とコンスタンティノープル教会の対立を決定的にした聖像崇拝禁止令(イエスの絵画や像を崇めることを禁止する)というのは、じつはイスラム勢力の台頭が関係しています。この法令は、イコンなどの偶像崇拝を禁止していたイスラム教に対抗するため、キリスト教の原則に立ち戻ろうという意図から発布されたと考えられています。
|
|
|
|