ミラノの歴史

ミラノの街並み

 

ミラノは北イタリアロンバルディア州の州都です。北部四州にまたがるポー平原の中にあり、南にはポー川が流れ、北にはアルプス山脈がそびえ立っています。商業・工業・金融・観光がさかんなイタリア屈指の経済都市として知られます。

 

ミラノの時代変遷

 

古代

紀元前6世紀頃、ケルト人が形成した集落がミラノの起源で、前3世紀以降はローマ支配下に置かれ、3世紀からディオクレティアヌス帝による分担統治が始まると、西方領土の首都として大いに繁栄するようになりました。テオドシウス帝(在位:379年-395年)の治世では皇帝宮殿が建設されています。

 

中世

西ローマ帝国滅亡後は、東ゴート王国東ローマ帝国ランゴバルド王国神聖ローマ帝国の支配を経て、12世紀には北部諸都市との同盟(ロンバルディア同盟)により自治都市として独立を獲得。さらに14世紀末、ヴィスコンティ家のジャンが「ミラノ公」の称号を受けたことで「ミラノ公国」となり、都市は全盛期を迎えました。

 

近代

18世紀以来オーストリアの支配を受けていましたが、同世紀末に勃発したフランス革命の影響で、19世紀半ばから、オーストリアからの独立を目指す「イタリア統一運動(リソルジメント)」が過熱し、ミラノはその運動の中心地となります。そして「ミラノの5日間」という抵抗運動、イタリア独立戦争(1859年〜)を経て、1861年には見事統一が完成し、ミラノはイタリア王国の一部として歩みを新たにすることになるのです。

 

第二次世界大戦

1939年、第二次世界大戦が勃発すると、イタリアもドイツ同盟国として参戦。しかし戦争が長期化するごとに国内経済は疲弊し、国民の不満が高まっていきました。そんな中で、戦争を指導していたムッソリーニ政権が倒され、イタリアが枢軸国から離脱すると、ドイツはすぐさまミラノ含め北イタリアに進軍し、対連合軍の防衛戦を構築。連合軍による爆撃により、ミラノ市街は大きな被害を受けています。

 

 

年表

年代 出来事
紀元前

紀元前600年

ケルト人によりミラノの原型となる町が作られる。


前222年

ローマ人により征服される。
1世紀
2世紀
3世紀

286年

ローマ帝国の分担統治の開始。ミラノは西方の首都に定められる。
4世紀
5世紀
6世紀
7世紀
8世紀
9世紀
10世紀
11世紀
12世紀

1167年

神聖ローマ帝国に対抗し、ミラノを含めた北部諸都市によるロンバルディア同盟を結成。
13世紀
14世紀

1395年

ミラノ公国の成立。初代ミラノ公ジャンの治世(1395年-1402年)でミラノは黄金期を迎えた。
15世紀
16世紀
17世紀
18世紀

1714年

ラシュタット条約によりオーストリア・ハプスブルク家の支配下に入る。
19世紀

1803年-1815年

ナポレオン戦争の最中成立したチザルピーナ共和国(1797年-1802年)、イタリア共和国 (1802年-1805年)、イタリア王国 (1805年-1814年)の首都となる。

 

1848年

「ミラノの5日間」の発生。オーストリア支配に対する反乱、イタリア統一運動に火が付き、ミラノはその中心地となる。

 

1859年

サルデーニャ王国イタリア王国の前身国家)がオーストリアからミラノを奪取する。


1861年

イタリア王国が成立し、ミラノもその一部に編入される。
20世紀

1943年

第二次世界大戦中(1939年-)、ドイツ軍の支配下に入ったことで、連合国から激しい爆撃を受けるようになる。


1945年-

ドイツの降伏。戦後ミラノは急速な復興を遂げた。
21世紀