レオ10世とは何をした人?〜免罪符販売で宗教改革を誘発〜

 

レオ10世の基本情報

 

本名:ジョヴァンニ・デ・メディチ
誕生:1475年フィレンツェ
死没:1521年ローマ
在位:1513年 - 1521年
政策:免罪符の販売/芸術の振興/サン・ピエトロ大聖堂の建設
誘発:宗教改革

 

レオ10世(1475年 - 1521年)はメディチ家出身のローマ教皇で、とりわけ免罪符の販売で教会への批判を強め、宗教改革を誘発した人物として知られています。フィレンツェ黄金時代を築いたロレンツォ・デ・メディチの次男として生まれ、修道士、枢機卿、教皇特使を経て、1511年38歳で教皇に就任。宴会を頻繁に開くなど過度な浪費家であり、就任後わずか数年で教皇庁を財政危機に陥れてしまいました。そしてサン・ピエトロ大聖堂の建設資金を集めるため、ドイツで免罪符の販売を始めた為に、ルターは教会の門の前に『95か条の論題』を提示し、宗教改革の口火を切ったのです。なおレオ10世はこれを受けルターを破門にしています。あまり評判がいいとはいえない教皇ですが、ミケランジェロラファエロといった芸術家のパトロンとなり、ルネサンス芸術の振興に貢献した功績は知られています。

 

レオ10世による贖宥状(免罪符)とは

レオ10世といえば、贖宥状(免罪符)の販売がルターから激しい批判にさらされ、宗教改革を誘発した教皇として知られますね、贖宥状とは「これを買えば今まで犯した罪が免罪される」という売り文句で販売された「お札」で、教会はこれを重要な収入源にし、サン=ピエトロ大聖堂を始めとするルネサンス聖堂建築の費用にあてたりしていました。ルターはこれを教会の腐敗と断じ、免罪符販売を批判する「九十五か条の論題」を教会の門前に張り出し、宗教改革の口火を切ったというわけです。