ルネサンスがイタリアで始まった理由とは?

 

ルネサンス(Renaissance)とは、14世紀から16世紀にかけての中世ヨーロッパで起こった、かつて栄華を極めた古代ギリシア・ローマ文化を復活させようとする運動のことです。イタリア・フィレンツェを中心に起こり、やがてヨーロッパ各国に広がっていきました。復興運動の分野は美術、音楽、哲学、建築、文学など多岐にわたり、それぞれの文化発展に寄与。レオナルド・ダヴィンチ、ダンテ、ミケランジェロ、ボッカッチョなど著名な芸術家を数多く輩出し、後世に多大な影響を与えました。

 

 

「ルネサンス」はなぜフランス語?

ルネサンスはイタリアを中心に栄えたにも関わらず、一般に知られる「ルネサンス(Renaissance)」という呼称はフランス語です。イタリア語ではリナッシメント(Rinascimento)と言います。

 

フランス語の呼称が使われるようになったのは、19世紀のフランスの歴史家ミシュレが、14世紀から16世紀に行なわれた「文芸復興」運動に対し、「ルネサンス」という呼称を、初めて学問的に使用したことに由来しています。

 

文芸復興運動が起こった時代区分の呼称として「ルネサンス期」という言葉が使われることもあります。

 

ルネサンスが起こった理由

古代ローマ古代ギリシア時代はヒューマニズム(人間中心の視点)が重視された時代でしたが、一神教のキリスト教の台頭で、そういった価値観は希薄化していきました。さらに12世紀には第一回の十字軍遠征の成功により、教会の権威は頂点に達し、世の中は、キリスト教と教会、つまり「神」が全ての中心という世の中になっていました。

 

人文主義の台頭

しかしその後も、いく度か行なわれた十字軍遠征にはことごとく失敗し、今度は教皇の権威を低下させる結果となります。これにより市民に、神に縛られない自由の精神が芽生え、それまでの神を中心とした考え方から、古代ギリシア古代ローマ時代のような、人間中心のの考え方(人文主義)にシフトし、ルネサンス活動の基礎が形成されたのでした。

 

キリスト教支配の息苦しさが運動を後押ししたともいえますが、必ずしもキリスト教否定の運動だったともいえず、ルネサンス活動は時に教会もスポンサーとなっていました。

 

 

なぜイタリアで起こったのか

ルネサンスがイタリア中心で起こった理由としては、いくつか挙げられます。

 

経済的繁栄

ルネサンス期のイタリア諸都市は、アジアとの東方貿易により大いに繁栄しており、周囲の大国と対等に交渉できる強い経済力・自治性を備えていました。古代ギリシア古代ローマと同じように都市国家としての性質を持っていたことが、ルネサンス文化の発展に大きく寄与したといえます。

 

強力なパトロンの存在

芸術家達の活動は、各都市国家の上流階級の支援で成り立っており、特に強力なパトロンとして活躍したのが、金融業で莫大な財を成したフィレンツェのメディチ家です。中でもロレンツォ・デ・メディチ(1449年-1492年)は、国外にフィレンツェの美術家を派遣するなど、熱心な支援活動を行ない、彼の治世のもとでルネサンスは繁栄の頂点に達しました。

 

古代史料の充実

イタリアには古代ローマの文化遺産が多く遺され、古代ギリシア文化のに精通するビザンチンやイスラム世界にも隣接していました。他の国より、環境が圧倒的に整っていたことが大きな要因の1つといえます。

 

ギリシア人の流入

東方からのオスマン帝国(現在のトルコを中心とした国家)というイスラム勢力の台頭で、ギリシア知識人や学者の多くがイタリアへ逃れてきたことも、ギリシア文化の復興運動に多大に影響しました。