スイスと日本の関係史

 

日本で広い世代に親しまれているチーズフォンデュスイスの郷土料理で、日本で何度も再放送されている名作アニメ「アルプスの少女ハイジ」は、スイスを舞台にした物語です。スイス文化というのは、以外にも日本人の身近なところに横たわっており、それは日本が近代以降、同国との交流を積極的に進めてきたことが背景にあります。

 

 

日本とスイスの関係の始まり

1853年にペリーが来航し、その後アメリカと日米修好通商条約を結んでいます。スイス政府はその話を聞き、エメ・アンベールを団長とする使節団を日本に派遣、1864年2月に修好通商条約を結んでいます。これが国同士の正式な関係の始まりといえます。

 

日本人のスイス公式訪問

1867年、15代将軍徳川慶喜の異母弟である徳川昭武率いる使節団が、スイスに初訪問しています。1873年には、岩倉具視率いる岩倉使節団がアメリカや複数のヨーロッパの国を訪れた際に、最終視察地としてスイスを訪れました。

 

岩倉使節団の旅のことが記されている『米欧回覧実記』では、スイスの自然、軍事力、教育のレベルの高さについて述べられています。

 

第二次大戦中〜戦後の関係

枢軸国として参戦していた日本は、大戦中、多くのヨーロッパ国と断交することとなりましたが、中立を表明していたスイスとは例外的に関係が続いています。そして原爆投下後に来日した、医師マルセル・ジュノーと、赤十字国際委員会の活躍もあり、両国の関係はさらに深まりました。

 

現在の日本とスイスの関係

日本法人のネスレ日本株式会社を筆頭に、在日スイス企業の数は150社近くに上るなど、ヨーロッパの中でも屈指に、経済的結びつきが強い国となっています。また2014年には日本とスイスの国交樹立から150年を迎えました。