古代ローマの農業形態とは?

 

古代ローマでは紀元前11世紀頃、イタリア半島に鉄器がもたらされて以来、農業が活発に行われるようになりました。シュメールから伝わった二圃式農業(冬穀物の栽培と休閑を繰り返す農法)が主で、鉄斧で木を切り倒し、森を農地に変えることで、大量の作物を栽培していたのです。

 

古代ローマは農業立国

ローマ人は農作物を交易用にも栽培していました。農地が増え、農作物の生産性が上がると、余剰農作物が増え、交換で武器や軍艦用の木材が手に入るためです。ローマの繁栄の背景には強大な軍事力や海軍力があったわけですから、農業がいかに重要な役割を果たしていかかということです。

 

農民の没落が内戦へ…

第二次ポエニ戦争後はラティフンディウム(大土地所有)が普及し、属州で栽培された果樹や穀物が大量に輸入されてくるようになりました。労働者は奴隷だったので、安価な作物が大量に入ってきたことで、長年の戦争で疲弊していた中小農民は土地と仕事を失いました。これが国家の分断に繋がり、ローマは「内乱の1世紀」へと突入していくのです。