停滞する経済の活性化のために開始されたペレストロイカですが、結局ソ連経済は回復することなく、91年に崩壊しています。
ペレストロイカを「社会主義体制存続のための経済改革」とみた場合、確かにまぎれもなく失敗であり、失敗に終わってしまったのは、大胆に見えた改革も、結局は中途半端であったからということに尽きます。
ペレストロイカを推進したゴルバチョフ大統領
社会主義の枠内で市場経済を導入しようとした結果、システムがうまく機能しないためかえって経済の混乱を招き、ルーブルの価値が下落、物不足からインフレが進行してしまいました。
経済の立て直しが出来ていれば、人心を中央政府にとどめ、連邦構成諸国の離反も起きなかったかもしれませんが、89年には物価上昇により市民の生活はますます困窮し、ソ連崩壊の直接要因となる東欧革命の勃発に繋がってしまうのです。
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