古代ローマ時代における「民族大移動」というと、「ゲルマン民族の大移動」ばかりが有名ですが、実は他の民族の大移動も起こっていたことはご存じでしょうか。
その民族とは紀元前数千年から前1世紀まで、西ヨーロッパの広い地域を支配していたケルト人という民族(ローマ人からはガリア人と呼ばれていました)です。
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大陸ヨーロッパのケルト人に関しては、前1世紀にローマに征服され、ローマ化していきましたが、ローマの支配が及ばなかったイギリスにおいてはケルト文化が引き続き栄えていました。
ゲルマン民族の大移動によりローマ帝国が社会的混乱状態にあった4世紀から5世紀にかけて、アイルランドからスコットランド西岸やウェールズ西岸への移動やブリテン島南西部からブルターニュ半島への民族移動が起こっています。
ゲルマン民族の大移動の期間、ゲルマン一派のアングロサクソン人が大陸からイギリスに大挙し、先住のケルト人に圧力をかけた影響です。
ケルト人は高度な工芸技術や独自の宗教・信仰を持ち、古代ヨーロッパの文化に大きな影響を与えました。彼らの文化は金属加工、特に鉄器の技術で知られており、またケルトの神話や伝説は後世のヨーロッパ文学にも大きな影響を与えています。彼らの独自の言語であるケルト語も、地域によっては現在も話されています。
ケルト人の民族移動によって、ブリテン島の特定地域でケルト文化が保存されることとなりました。特にウェールズ、スコットランド、アイルランド、ブルターニュ半島などでは、ケルトの言語や伝統、音楽が現代でも受け継がれています。これにより、ケルト文化はゲルマン化の波から逃れ、一部地域でその豊かな伝統を維持し続けることができました。
ゲルマン民族とケルト民族は、多くの点で対立しながらも、時には共存し、文化的な影響を与え合いました。特にアングロサクソン人のブリテン島侵入は、ケルト人の社会に大きな変化をもたらし、彼らをより西方へと追いやる結果となりました。この動きが、ケルト文化の新たな地域での発展と保存に寄与したのです。
ケルト人の大移動は、ゲルマン民族の大移動と相互に影響し合い、古代ヨーロッパの民族分布を劇的に変えました。現在もケルト文化が一部地域で保存されているのは、この歴史的な大移動の結果です。ゲルマン民族大移動の影響を受けつつも、ケルト人は独自の文化を維持し続け、その遺産は現代に至るまで生き続けています。
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