クレオパトラ7世とは何をした人?〜ナイルの魔女〜


クレオパトラ7世の基本情報

 

生年:前69年
没年:前30年
出身:アレクサンドリア
死没地:アレクサンドリア
称号:ファラオ
異名:「ナイルの魔女」

 

クレオパトラ7世(前69年 - 前30年)はエジプト・プトレマイオス朝最後の女王で、ローマのカエサルと手を結びエジプトを統一した人物として知られます。色香に溢れ、エジプト語・ギリシア語はじめ様々な言語を操る才色兼備な人物でもあったと伝えられています。
そんなクレオパトラはプトレマイオス12世アウレテスの次女として生まれ、紀元前51年、弟と共同統治者として即位。その後共同統治を嫌ったプトレマイオスに排除され王位失うも、ローマの名将カエサルの後ろ盾を経て、プトレマイオスを打倒し復権を遂げます。治世末期ではローマ内乱に介入し、アントニウスと手を結び勢力を広げようとしますが、オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)との決戦に敗れ、失脚・自殺に追い込まれ、プトレマイオス朝も断絶しました。ちなみに彼女の容姿はウィリアム・シェイクスピアの文芸作品の影響で「絶世の美女」というイメージが流布していますが、実際は魅力的ではあったものの、特別美女というわけでもなかったといわれています。

 

 

クレオパトラの功績

紀元前48年、弟のプトレマイオス13世とファラオの座をめぐり争い(アレクサンドリア戦争)、カエサルの助力もあり勝利。これでエジプトで長年続いたクレオパトラ派・プトレマイオス派による内戦に終止符が打たれ、クレオパトラは事実上エジプト唯一の王として君臨することとなりました。

 

クレオパトラの生涯

前69年 誕生

アレクサンドリアにて、ファラオ・プトレマイオス12世の子として生まれる。

 

前58年 ローマに亡命

父プトレマイオス12世の増税がエジプト市民の反乱を引き起こし、一時、父とともにローマ市へ亡命する。

 

前55年 エジプトに帰還

プトレマイオス12世はローマの力を借りてエジプトに帰還を果たし、摂政のベレニケ4世を処刑した後、復権を果たした。

 

前51年 即位

プトレマイオス12世の死去を受け、弟プトレマイオス13世と共に18歳で即位した。

 

前48年 アレクサンドリア追放

共同統治を嫌うプトレマイオス13世により、アレクサンドリアから追放される。同年ローマ内戦中のローマの将軍・カエサルと出会い愛人となる。

 

前47年 プトレマイオス13世死去/カエサリオン誕生

カエサルと組みプトレマイオス13世を打倒し、エジプトの単独統治者となる。同年カエサルの子カエサリオンを生む。

 

前31年 アクティウムの海戦

カエサル暗殺後の内戦に介入するも、アクティウムの海戦に敗れ、オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)の監視下に置かれるようになる。

 

前30年 死去

オクタウィアヌスに臣従することを拒み、コブラに身体を噛ませて自殺した。遺言に基づきアントニウスと共に葬られた。