シチリア島の歴史

シチリア島のエトナ山

 

シチリア島は、イタリア半島南端、地中海の中央に位置する島です。イタリアの特別自治州の一つシチリア州を構成する、地中海最大の島でもあります。古くからオリーブ・ワインの生産および交易拠点として栄え、現在は南東部の石油を背景に精油の一大工業地帯としても知られています。ここではそんなシチリア島の歴史について簡単にまとめています。

 

 

名前の由来

シチリアという名前は、古代ギリシア人が植民を開始する前に、島の東部に居住していた「シケロイ人」に由来しています。

 

支配の歴史

古代

前8世紀頃から、ギリシア人が植民を開始し、シラクサ、メッシーナ、レンティーニなどの植民都市が形成されました。前4世紀にはカルタゴの支配下に入るも、前264年メッシーナの紛争をきっかけにローマとカルタゴの間で第一次ポエニ戦争が勃発。その結果シチリアは、ローマ最初の海外属州として、ローマの支配下に入りました。

 

中世

12世紀、ノルマン人がイスラム勢力に代わり島の支配者となり、両シチリア王国を形成しています。同国はイスラム文化・正教文化・カトリック文化が共存する、地中海世界屈指の多文化国際都市として栄えました。

 

シチリアの晩餐以後

そして13世紀後半にはフランス支配に移りましたが、1282年「シチリアの晩餐」と呼ばれる反乱が発生し、王族は島を追われます。15世紀以降はスペイン帝国の支配下に入り、その支配は18世紀初めまで続くこととなります。

 

近代

19世紀初頭にナポリ王国との再統一で、両シチリア王国が復活を遂げるも、1860年にイタリア統一を目指すガリバルディ率いる千人隊に占領され、翌年成立のイタリア王国に併合されました。